延原時行歌集「命輝く」(第890回)(花壇の植え替え・つちづくり)
延原時行歌集「命輝く」(第890回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(177−5)示すの歌、変貌系譜に入るの歌、三段階の歌、妻奇蹟の歌、静中動なる御神称ふの歌、将にの歌、日々奇蹟の歌、妻の幸の歌、不思議なりの歌、ノーちゃんよの歌、この朝の歌、今にしての歌、幸せの雪の歌、称ふべしの歌、梅も桃も綻びての歌、我が歌の歌、妹背会話の歌、全快の歌、延原信子一生の歌、語りしの歌、信念の人信子の歌、思ひ出奉献の場即復活の歌、命の歌、麗しき哉の歌、我妻よの歌、何故にの歌、岸辺立つ主よの歌、一瞬の歌、復活の歌、人すべての歌、イエス出現主旨の歌、即座の歌、訊き給ふの歌、我妻よの歌、時々にの歌、往きし人と次ぐ者の歌(2014年4月1−10日)
4月3日
この朝の歌八首
この朝も暖かき雪胸降りつ我目覚めたり岸辺立つ主と
笑み往きし我妻信子祝されし御神の愛や御国溢るも
思ひ出を見事作りて奉献す妻の命や永久に不滅ぞ
God blessed the good day
Of self-reflection [while alive] And [when time comes] Of self-dedication [to] [The KIngdom of LIfe Everlasting」(備考:信子一生のうたーーことに「嫁帰り」三年四か月の後に突如召されし歌なり)
God blessed the good day
Of self-reflection [while smiling] And [when time passes]
Of self-dedication [to] [The KIngdom of Life Everlasting] (備考:信子最期の歌ーー棺内笑み増し奇蹟の歌)
Really, really, We perish [while reflecting on ourselves] And Are immortal [while dedicating ourselves to God] (備考:延原信子の箴言ホ氏哲学と合体す)
かにかくに人は言ふとも我妻の生涯誠神召す奇蹟
さて我は今より一書作るなり『復活省察:祝福のうた』
今にしての歌十首
今にして思ひ悟るや三年余これ奇蹟日々有難きかな(備考:生存率6%なる信子快癒日々に付き執刀医渡辺徹ドクターよりかつて「信子さんの体内にも周りにも私は神の凛とした実在をひしひしと感じていました。」とのご芳書我頂けり)
これら日々恵まれし故妻信子最後の日にぞ幸告げつ往く
我妻の幸告白や何あろう主の御臨在称ふ言の葉
この幸や如何に悲惨の在ろうとも岸辺立つ主ぞ共なるやとぞ
そのことを我我が胸に暖かき雪降るごとに感じつ生ける
妻の笑み見入りたる日にはっとせり我が胸の雪岸辺の主なり
かく思ひ我ヨハネ書の岸辺の主露わなる国御国とぞ知る(備考:即ちヨハネ福音書21章4節「夜が明けた頃、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。」に続くペテロたちの主イエスとの出合ひ、岸に上がりての共食、而して「愛するか。」との主の問とペテロの告白而して「わが羊を飼へ。」との召しーーすべてこれ御国の物語なりと知る。その映し刻々に地上に在るなり。映し我が事で言へば著作活動ーーことに新著『復活の省察ーー祝福のうたと共に』なり)
かくしてぞ信子往く日の笑み増しぞ実に復活主顕はるる事
驚けりああ驚けり妻の笑み増して告ぐるや復活主アーメン
痛ましや果敢無しやとぞ人は言ふ岸辺立つ主に気付く日までは
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歌に添える写真のもう一枚は、私のパソコンのピクチャの中に取り込んでいた白黒のものです。
延原さんにメール送信して確かめますと、「これは、珍しい、Texas Christian University Brite Divinity School の私の研究室での写真ですね。1982〜3年です。Dr. Tokiyuki Nobuharaと出ていますから、大学で撮ってくれたものと思います。」と返信がありました。
そのころ延原さんから、大学の学報のような印刷物を送っていただいていたものを、パソコンに取り入れていたものだったようです。いい写真ですね。
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だんだんと暑くなってきました。今日は、京都の「葵祭」のようです。学生の頃、アルバイトで練り歩いたことがあります。
昨日も花壇の植え替えのための土づくりに、ポタリポタリと汗を流しました。道行く人が何人も声を掛けて下さり、見知らぬ方から「ありがとう」などお礼のことばもあって、ほっこりとして・・・・。
すぐ隣が小学校で、ピアノの合唱が聞こえてきたり、すずめが電線にとまって、なにやら声を掛けてくれたり・・・・。
今日の写真は、昨日の花壇の写真を数枚収めます。