延原時行歌集「命輝く」(第888回)(永沢寺の芝桜)


       延原時行歌集「命輝く」(第888回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(177−3)示すの歌、変貌系譜に入るの歌、三段階の歌、妻奇蹟の歌、静中動なる御神称ふの歌、将にの歌、日々奇蹟の歌、妻の幸の歌、不思議なりの歌、ノーちゃんよの歌、この朝の歌、今にしての歌、幸せの雪の歌、称ふべしの歌、梅も桃も綻びての歌、我が歌の歌、妹背会話の歌、全快の歌、延原信子一生の歌、語りしの歌、信念の人信子の歌、思ひ出奉献の場即復活の歌、命の歌、麗しき哉の歌、我妻よの歌、何故にの歌、岸辺立つ主よの歌、一瞬の歌、復活の歌、人すべての歌、イエス出現主旨の歌、即座の歌、訊き給ふの歌、我妻よの歌、時々にの歌、往きし人と次ぐ者の歌(2014年4月1−10日)

    4月1日
             将にの歌三首

   我妻を通してしかと学びたり常に今生果つるも佳しと

   然れども新しき命(めい)いただきぬ妻の命の物語書け

   かくしてぞ我書かん哉ずずんとぞ復活省察:祝福のうた
(備考:昨日より瞑想したる結果書名と目次これなり:『復活の省察ーー祝福のうたと共に Reflections on the Resurrection: In Sync with Songs of Blessing』 I Re-missio Peccatorum(罪人達の赦し即再派遣);II 詩「ペテロ」;III リハビリ一歩一歩(於新潟県立リウマチセンター);IV 祝福の今(於豊浦病院);V Songs of Blessingーー延原信子英文箴言集;VI 延原時行歌集「命輝く:自2014年3月11日至3月31日」;VII 弔文応答賦:日英)

    4月2日
            日々奇蹟の歌十首

   今にして思へば誠奇跡なり信子(6%)生きたり三年有余

   日々に恩寵ありて妹背共悲惨超えたり笑みつ語りつ

   何処にて就寝するも汝(なれ)は呼ぶ父さんトンキ今御国にて
   (備考:トキまたトンキ我が家庭内愛称なりき)

   尻痛み足も痛みて錠剤を粉薬なし飲みて生きたり

   その汝(なれ)や箴言朗々完璧や驚ける者療法士様

   今日の日も我が胸にぞや暖かき雪ぞ降りける主共に在せば

   それにせよはあとふるにて古希祝ひ笑みし汝(な)が面(おも)葬儀華やぐ(備考:この一枚実に有難かりき、2012年6月17日はあとふるあたご城北町デイサービスセンタースタッフご一同様よりプレゼントさるる、信子人生のトレードマークとなれり:「私達の寒〜い冗談にも笑って下さる信子様。いつも楽しい大阪弁のお話をありがとうございます。いつまでもお元気でいて下さい。」)

   日々に基督臨在ありてこそ笑む信子様喜々たるも実に

   突然に主召し給ふあの瞬間永久に忘れじ汝(なれ)永遠(とわ)に入る
   ああ奇蹟奇蹟恩寵ありてこそ延原信子悲惨中笑む


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 歌に添える今日の写真は、延原さん(加茂兄弟団)の主催で1960年代に始まった「神戸自立学校」−−40年以上も毎月一回第二日曜日の午後開催し続けた、これもまたいま思いますに<不思議な不思議な読書会>――の折々の写真です。

 延原さん御夫妻が長年国外で御活躍中も、自立学校のメンバーに向けて学術的な書簡が届いて、それを読み合せたりして、1984年6月の滝沢先生の御葬儀での帰国の折は、もちろん自立学校のメンバーと共に愛餐と学びを、その後新潟・新発田に開校された敬和学園大学在任以降は、毎年のクリスマスの折には、特別の集いを楽しみ、学び合いを重ねてきました。(昨日UPした白黒写真は、延原さんによれば、1984年7月8日のもののようです)

 自立学校の例会のあとは、近くの喫茶店やレストランで二次会があったりして・・・・。




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 昨日から花壇の植え替え準備の作業をはじめました。大きなミミズちゃんが、身をひねりながら出てきます。やっといい土ができつつあるのでしょう。今日もまた、一汗かいて・・・あとでは、美味しいビールを戴いたりして・・・。

 今日の写真は、過日訪ねた「永沢寺の芝桜」です。