延原時行歌集「命輝く」(第881回)(森林浴:諏訪山あたり)
延原時行歌集「命輝く」(第881回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(176−11)妹背会話の歌、連呼生涯の歌、我妻信子の歌、今やの歌、信子笑み且つ称ふの歌、箴言悟りたりの歌、古希フォト飾るの歌、妻人生の歌、今朝の歌、久々にの歌、笑み三態の人の歌、笑みの秘儀に驚きぬの歌、日々と変貌の歌、復活の家今の歌、語りかけの歌、元気ノーちゃんの歌、涙の歌、妻よの歌、妻笑み三態の歌、棺中御恵みの里の歌、時かけて箴言満々の歌、嬉しさ一枚の歌、驚けり恩寵世界の歌、朝まだきの歌、微笑奇蹟の歌、傑作人生の歌、妹背対話の歌、飛翔の歌(2014年3月21−31日)
3月28日
涙の歌二首
園にてぞ支払い済ませケアマネ氏我礼申すや涙し給ふ(備考:居宅介護思念事務所 豊浦愛宕の園介護支援専門員 倉島政勝氏なり)
友ありて我が短歌をぞ読み給ひ我妻の笑み悟りとぞ褒む
(備考:敬和学園大学北嶋藤郷名誉教授なり)
妻よの歌六首(推敲)
頭打ち幸せいっぱい言ふ妻よ何が不幸で幸か超ゆ
絶命し笑み増せる汝(なれ)ノーちゃんよこの世超ゆれば岸辺の主友
汝(な)が笑みの如何に尊きものかはぞ言葉尽くすも言ふに言はれず
生くるのみ考へ行くや今の世に死して不滅の命ある汝(なれ)
御神の召し給ふ日の輝きに厳かにして笑み満つる妻 (備考:先ず輝き与えられたるなり、それ故の死なり)
かく詠ふ我心にぞ暖かき雪ぞ降りつつ復活主見ゆ
妻笑み三態の歌七首
厳かに打たるるままの我妻や如露亦如電(にょろやくにょでん)応作如是観(おうさにょぜかん)(備考:武将大内義隆が陶隆房(晴賢)の謀反により自決する際残した辞世、良寛も愛した一句「如露亦如電 応作如是観」(金剛経)は、撃つ撃たるるを超える境地の悟りを言ふ。我妻の笑み第一態は打たるる儘の姿なり)
我妻は脚下照顧の面持ちで深き思ひのままぞ笑み増す(備考:深き思ひとは「基督の思ひ」のことなり:第一コリント書2章16節「わたしたちはキリストの思いを持っている。」熟読参照。笑み増しは厳かなる所から出ずる姿なり)
この笑みや称への口をしめしつつ天父に向ふ目蓋喜々たり
妻の笑み眺め見るほど香しき礼拝ぞなしイマヌエルアーメン
さながらや良寛禅師歌に言ふ元の誓ひの姿や微笑
笑みまさに基督祈りませるまま妻嬉々として称へ行けるも
此処にあり基督と共祈り笑み天父仰ぎつ笑み祈る妻(備考:これ我がフォト拝顔の一端なり。驚くべきフォトなり。我が家の宝なり)
♯ ♯
このたび延原さんから送っていただいたご夫妻の写真を、歌に添えて掲載してきましたが、この機会に、さらにつづけて私の手許に在る延原さんの写真も収めています。
今回は、2010年3月13日の「しばた良寛講座」の時のものを、メールで送って貰った写真がありますので、不鮮明ですが、面白い写真ですので、ここに添えて置きます。
このところ毎年のように、延原さんはこの地元での「しばた良寛講座」に招かれてお話をしておられるようです。そしてこの時の講演草稿は、『宇宙時代の良寛』として書物に仕上げられて、話題を呼んでいます。
本年の「しばた良寛講座」も延原さんの講演が予定されていています。
♯ ♯
昨日の「こどもの日」は、暦の上では「立夏」でしたか、風薫る五月、清々しい朝ですね。
連休の最終日、友人の主催・出演する「邦楽演奏会」が、先日も出かけた神戸の庭園「神戸市立相楽園」の「相楽園会館」で開催されますので、出かけてきます。
彼は演奏会の代表もしていて、尺八を演奏します。琴の音とともに、つつじ満開の庭園を愛でながらのひと時です。
この演奏会は、あの大震災の前から始まっていたと思いますので、もう20年を過ぎているのでしょうか。彼もいまは立派な白ひげを蓄えて、尺八の音色と共にその姿も立派なものです。
今日の写真は、相楽園の近くからすぐの諏訪山に登って、「燈籠茶屋」に着くまでの森林浴の景色です。撮影順に並べます。