延原時行歌集「命輝く」(第878回)(足元の花たち)


       延原時行歌集「命輝く」(第878回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(176−8)妹背会話の歌、連呼生涯の歌、我妻信子の歌、今やの歌、信子笑み且つ称ふの歌、箴言悟りたりの歌、古希フォト飾るの歌、妻人生の歌、今朝の歌、久々にの歌、笑み三態の人の歌、笑みの秘儀に驚きぬの歌、日々と変貌の歌、復活の家今の歌、語りかけの歌、元気ノーちゃんの歌、涙の歌、妻よの歌、妻笑み三態の歌、棺中御恵みの里の歌、時かけ箴言満々の歌、嬉しさ一枚の歌、驚けり恩寵世界の歌、朝まだきの歌、微笑奇蹟の歌、傑作人生の歌、妹背対話の歌、飛翔の歌(2014年3月21−31日)

    3月26日
          日々と変貌の歌十首

   我妻の生涯しごと棺中の笑みと箴言嬉しかりけり
   朗々と箴言吟ず園の妻終りて晩祷済ますやこてん
(備考:豊浦愛宕の園ショートステイの日々=毎月隔週=楽しみは昼餉夕餉の介助の後箴言復唱なりき。昼は七条夜三十条、時に黙すや突如邦訳も、嬉しき時なりき。一日は:”God be with you. God bless you. See you tomorrow.” “The same to you. Good night.”の挨拶で終るや常なりき)

   箴言の復唱にぞや妻一途精力傾注緩慢日にも
(備考:緩慢日とは眠気強く活力弱きひなり。かかる日にも箴言復唱となると俄然元気なりき。何かしら使命感ごときものありたり)

   トイレとの格闘長き折にぞはウオロクの寿司坐せるまま佳し
(備考:はあとふるあたごデイサービス=隔週水金日=の夜のことなり。月火木土は在宅日にて通院に当てたり。片桐医院内科、北越病院脳神経科、高橋クリニック皮膚科、信田眼科医院の如し。土曜日には北越病院より大島誠夫療法士の訪問リハビリあり。デイサービス日と在宅日には朝8時よる9時にホームヘルパーさんたち来宅、トイレ介護我介助、着替え、お薬塗布点眼等、お手伝いさんたちと会話楽しむ時にてもありき)

   ときにはぞ勿体ないと言ふなれどノーちゃんこれなお薬なんや
(備考:「ウン。」我が信念2011年10月5日豊浦病院退院せるより、「病人にも最高の食事提供することにより毎日小さな希望期待の時を与えるべきなり。」と言ふにありたり。然るが故に、水金日にはコモタウンのウオロクに買い物に車走らせるが常なりき。近くにイオンJUSCO大型店在りて十分活用せるも、寿司はウオロク元々魚屋出身なるゆえ美味豊富、ノーちゃん愛したり。マグロ真鯛から始めサーモン卵口に入れ瞑目、美味しいね、とか言ひつつ次に太巻き鉄火巻稲荷ずしも好みたり。夕食至福の時なりき。味噌汁を用意するやら、鍋物野菜を添えるやら心せり。体重55キロを常に維持するよう留意せり。これ越ゆることも注意せり。デイサービスもショートステイも食事精進料理の気味あり、それはそれでよし。在宅で色添えぬ)

   デイサービス行く日は何時も寿司デーよ夕餉朝から楽しみな妻
   死してなお棺中にてぞ笑む妻はこの宇宙のぞ変貌告ぐるも

   明らかに笑む妻ぞ主と甦り宇宙変貌告ぐるや嬉れし
(備考:これ第二フォトの妻笑み増しに明らかなり。明らかに妻この「笑み増し」のために生まれ来れる人なること、我が深き確信なり。笑み増しの裏に復活の主あり。これ悲惨の奥の恩寵なり。そのままに主と共に天父御国に凱旋せり。へブル書の「御座に近づく」と言ふあの究極真実なり[へブル書10章22節])

   朝まだき我が胸にぞや滾々と妻と共なる泉湧くなり

   いかで我この喜びを告げざらん悲惨転じて華やぎ宇宙(備考:御声聴ゆ「汝これらの物(注。宇宙の諸多性)より我を愛するや。」「主よ然り。我汝愛しまつること汝知り給へり。」「わが羊を養へ。」ヨハネ福音書21節15節熟読参照)



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 前々回より、邦文と英文で仕上げられた大変珍しい延原さんの著作『地球時代の良寛』(RYOKAN in a GLOBAL AGE)(2001年5月、考古堂書店)の中から、ご夫妻の写真などをUPしていますが、今回も三枚取り出して置きます。

写真1 29頁の「メイフラワー2号を背にして」


写真2 65頁の「新島襄の母校 Andover Newton 神学校にて 1999年8月」


写真3 66頁の「アーモスト大図書館 内村鑑三肖像画とともに」



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 今日は快晴の「憲法記念日」、神戸でも憲法集会が開かれ、午後は神戸芸術センターに出かける予定です。

 ところで、同志社の神学部時代のクラスメイト・犬養光博さんから、明日(5月4日)早朝5時からの1時間番組、NHKのET「こころの時間」で、宗教・人生―筑豊に隣人あり−として出演するとの連絡がありました。

 犬養さんは3年前に筑豊を離れて長崎にお住まいですが、学生時代の1960年代、「筑豊の子どもを守る」活動を皮切りにして、3年前に引退されるまでの長期間、奥様と共に筑豊の住民の一人として、地道な働きを続けてきた、面白い牧師さんです。早速ただいま録画予約をして置きました。楽しみですね。

 同志社神学部時代のクラスメイトには「犬養」「草刈」「宇山」「真下」[宮田][長崎][府上][荒川][藤井][大泉」「平松」などいて、あの激動の時代を、それぞれ異色の持ち味を発揮して「牧師の道」を模索しつつ歩んできました。

 さて、今回も私たちの花壇や中庭、隣の公園の写真を収めます。