延原時行歌集「命輝く」(第861回)(昨日のぶらり散歩ー咲き始めたつつじ・ハナミズキなど)


      延原時行歌集「命輝く」(第861回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(175−13)歌の歌、歴史皮肉の歌、どれ今日もの歌、宇宙時代良寛の歌、にせ正義と風の歌、電子ざんげの歌、風の歌佳しの歌、風の歌メタフィジックス大発見の歌、如何なるやの歌、箴言の歌、この時代の歌、突然にの歌、我切にの歌、今日の歌、春の歌、今朝の歌、妻の歌、前夜式の歌「御神示しぬ」、信進みぬの歌、信の道の歌、友ありての歌、あの日の歌、祝ひの歌、我妻の道の歌、朗々の歌、驚きぬの歌、華やぎの春の歌、天がける日の歌、大仕事の歌、これからの歌、時の救ひの歌、人如何にの歌、篤き言の葉の歌、我妻よの歌、さながらやの歌、延原信子フォトの歌、フォト見るの歌、我覚るの歌、御旨一枚の歌、呼び掛けの歌、ようやったの歌(2014年3月1−20日

    3月15日
             朗々の歌三首

   園にてぞショートステイの五日間我ら箴言朗々努む

   昼餉あと七条朗々生粋の延原信子信条これぞ

   夜なれば三十条皆朗々や完璧になす歓喜妻佳し

             驚きぬの歌一首

   棺(ひつぎ)中笑みの増す人見たる我実に驚きぬ実に実に実にぞ

            延原信子奇蹟の歌七首

   誠にぞ我妻信子梯子落ち頭打ちしも手のうごき在り
(備考:2010年12月1日早朝居間本棚の書籍二度にわたり引き寄せ、三度目に旅行用の洋傘鷲掴みにして我に上智に行き手講演せよと示す)

   手のうごき受けて上京上智よりTELしたればやドッと涙ぞ(備考:2010年12月4日義妹順子さんのケータイに田中裕教授ノーちゃん倒れし事告ぐるや泣き伏し給ひたる事伝ふればドッと涙す。意識回復12月1日の手術後三日目なりき)

   生存の確率実にも6%妻喋り出す別嬪さんと
   (備考:2011年1月6日新潟県立リウマチセンターにてなり)

   我妻の双眸ひらく春初め右眼瞳孔かつて全開(備考:2011年2月2日なり。2010年12月1日救急車にて県立新発田病院に搬送さるる時右眼瞳孔全開なりき。その右眼開きたること奇蹟なり。我が心歓喜に満つ)

   春来たり陽光満つる部屋ありてGod blessed the good day.とぞ書きし嬉しも(備考:2011年3月9日新潟県立リウマチセンター内リハビリ室五十嵐療法士の前にて書けり)

   箴言を七条見事朗々と復唱したる大島師褒む(備考:2014年3月8日なり。北越病院訪問療法士大島誠雄師の前にてなり。「心のリハビリ大成功ですね。」)

   棺中に笑み満つる顔柔らかくさらにも笑みや増すぞ嬉しき
   (備考:2014年3月12日真夜中、前夜式に感謝したる様明らかなり)



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 今回も先生からお送り頂いた写真の中から二枚を収めます。

 一枚は「延原信子 時行 Ms.長島 At Claremont Graduate University on May 16,1981:Ph.D.Commencement Sage United Methodist Church の皆さんが来て下さり、長島さんもそのひとり」と裏書されている写真です。



 もう一枚は、「延原信子 於 ダスキン米国本社(ロサンジェルス)社長秘書室 1991年」の写真です。延原さんはこの年は「敬和学園大学」開校のため単身、新潟新発田で活躍中でしたが、この後信子先生もすぐ新発田へ帰国されました。



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今朝も神戸は、爽やかな暖かい日和です。小鳥もベランダの洗濯棒にぶらさがりご機嫌です。

朝からあるお祝い事があったり、午前は知り合いの御退院、そして本日は忽然と逝った親しい友の御命日・・・など。

今回の写真は、昨日のものです。

住宅の花壇や中庭の花たち・・・・。今年もこの時節、急につつじが咲き始めました。すでに咲いていたのでしょうが、ことし初めてハナミズキの花を見つけました。白い花と赤い花をつけている2本のハナミズキです。

今回もまた野良猫君もカメラの前でポーズをとってくれました。

桜もまだまだ綺麗です。珍しい水仙の花なども・・・。