延原時行歌集「命輝く」(第859回)(須磨・安徳宮)


         延原時行歌集「命輝く」(第859回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(175−11)歌の歌、歴史皮肉の歌、どれ今日もの歌、宇宙時代良寛の歌、にせ正義と風の歌、電子ざんげの歌、風の歌佳しの歌、風の歌メタフィジックス大発見の歌、如何なるやの歌、箴言の歌、この時代の歌、突然にの歌、我切にの歌、今日の歌、春の歌、今朝の歌、妻の歌、前夜式の歌「御神示しぬ」、信進みぬの歌、信の道の歌、友ありての歌、あの日の歌、祝ひの歌、我妻の道の歌、朗々の歌、驚きぬの歌、華やぎの春の歌、天がける日の歌、大仕事の歌、これからの歌、時の救ひの歌、人如何にの歌、篤き言の葉の歌、我妻よの歌、さながらやの歌、延原信子フォトの歌、フォト見るの歌、我覚るの歌、御旨一枚の歌、呼び掛けの歌、ようやったの歌(2014年3月1−20日

    3日15日
            友ありての歌三首

   友ありて長き道程来りては我妻の笑み見つつ語らふ(備考:昨日東大阪より来たりし木原和彦兄と語りつつ初回の「延原信子記念復活の家セミナーハウス」セミナー持てるも。嬉れし。笑み=20012年6月17日、はあとふるあたごにおける古希の祝いひの、悠然と笑みこぼる写真なり。これ此度の告別フォトとせり。これより後妻信子の発案になる「復活の家セミナー」一年に数度試みること楽しみなり。復活の家宿泊施設設けん。セミナーの間食事は近くのイオンJUSCO又JR新発田駅前のながしまにて為すべし。共に月岡温泉華鳳に赴き寛がん。復活の家小図書室設くべし)

   ながしまの寿司美味かりし蕎麦も佳しヨルダン(夜談)会の友来ればや(備考:ながしま=JR新発田駅前の料理店なり。1962年以来52年間の友垣なり。1962年頃大阪YMCA聖書研究会、続きテ梅田更級蕎麦屋での聖書研究会「ヨルダン(夜談)会」にて木原氏キリスト信徒になりぬ)

   悲惨即天国なりと我妻の野辺の送りや示せし誠

         あの日(2014年3月11日)の歌四首

   何かしら不可抗力を感じつつ昼餉向かひしあの日我なり

   御神の定め給ひし一瞬の移行活劇命なりけり

   ノーちゃんと我との命活劇を演じたるなり救急車呼び
   活劇や移行成りたり我妻の広大無辺宇宙への道

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 2010年11月30日、奥様の瀕死の大怪我からの奇蹟的回復の不思議な日々は、2014年3月11日、奥様の御許へのあまがけへと祝されつつ、一日とて途切れることのない、讃えの歌が溢れ出ていきます。

 こうして不思議な不思議な日々は、新しく進んで行きます。

 上の歌には、前回もUPした奥様の笑みのこぼれる「告別フォト」の前での、「大阪ヨルダン(夜談)会」(延原さんの主宰する若き日の蕎麦屋さんでの愉快な聖書研究会)の親友・木原さんとの「延原信子復活の家セミナー」に触れられていますので、ここにあらためてもう一度、今度はわたしの撮影した「告別フォト」を収めます。


 そしてもう一枚、今回先生からお送りいただいた写真――この写真には、次の説明書きが記されています。「1991年夏、カリフォルニア州立大学サンバーナディーノ校近くの日本料理店やまざとにて。右北垣宗治敬和学園大学初代学長、左延原信子、中延原時行」――をここに収めさせて頂きます。



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前回記しましたように昨日午後は、我が家にお待ちしていた来客がありました。私たちの地元に「大本甚吉」という名望家がおられて、大正期に賀川豊彦が「イエス団友愛診療所」を長田に開設し、名高い馬島医師一家が献身的な働きを始めた折、持ち家のひとつを提供した御方として知れていますが、このたび来訪していただいたのは、その大本甚吉氏の娘さんとお孫さんのおふたりでした。

大本甚吉氏ご一家と馬島医師との深い交流の思い出のお話をはじめ、お孫さんの賀川・間島・大本に関わる歴史探訪の熱い思いなどお聴きしました。

大本甚吉氏は神戸市会議員も務められた御方ですが、大正期から現在までの街の大変貌は、娘さん(わたしと同年齢)とお孫さん(いま45歳)の歩みと重ねあわせて、まことに感慨深いもので、語らいは尽きませんでした。

ご持参いただいた写真を一枚収めます。前列左端が大本甚吉氏。



本日も好天気、いま「つつじ」が一斉に花開いてきました。よい一日がはじまりました。

今回の写真は、「須磨・安徳宮」のところをUPします。

安徳帝内裡跡伝説地」「皇女和宮像」[モルガン燈籠」「真理胡弁財天」[復興・大鳥居」など・・・