延原時行歌集「命輝く」(第846回)(愛猫ミミちゃんの来訪)


        延原時行歌集「命輝く」(第846回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(174−5)踊る人の歌、物語の歌、今朝の思ひの歌、有難きかなの歌、謹呈嬉やの歌、急上昇の歌、朝一番の歌、考量の歌、ともかぜの歌、久々にの歌、第二・三条の歌、華の歌、一日終るの歌(2014年2月21−28日)

    2月26日
           ともかぜの歌二首

   我が羊飼へと主イエスの命あれば社会無者への慈悲やともかぜ

   久方の光のどけき春の陽や温もりのさち訪れし哉

    2月27日
           久々にの歌四首

   久々にジュンク堂来て一隅に拙新著のぞ照らしおる見ゆ
(備考:『宇宙時代の良寛・再説――ホワイトヘッド風神学と共に』10部、『宇宙時代の良寛ーーエコ神学者トマス・ベリーと共に』5部、『地球時代の良寛』1部良寛コーナーに在りたり。昨日壮観認む)

   維新より先駆ける歌つくりては日ノ本未来告ぐるや禅師
   憲法を護る攻むるの切迫は気になることも宇宙うた先
(備考:稲垣久和著『改憲問題とキリスト教』(教文館)購ヘリ。好著なるも歌なし。社会思想憲法論では賀川豊彦、公共哲学原論では滝沢克己を二本柱にせる真面目なる憲法啓蒙書なり。日ノ本のいと広くしていと切実なる「うた」知らずして日ノ本の「憲法」Constitution成らず。この点。西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」最善の備へなりとは私見なり。我が恩師滝沢克己のインマヌエルの原事実論、これに比すれば、最も真面目なる意義における道義的世界観なり(宗教的には非ず)。何故なるか。神人の原関係を神の属性と見做す故、原関係への神の「うた」出ずる事なき故なり。神のうた神の至誠心なりとは、我が永年の持論なり。詳しくは拙新著見られたし。拙著『至誠心の神学ーー東西融合文明論の試み』[京都・行路社、1997年]、『地球時代の政治神学ーー滝沢国家学とハタミ「文明の対話」学の可能性』[福岡・創言社、2003年]参照)

   良寛の歌心して見るまでは維新と基教綱引きぞなもし
   (備考:而して禅師に合するはホ氏風の神学なり。耳ある人は聴くべし)




今朝は、昨日の雨に流された爽やかな快晴、今日は諏訪山金星台あたりを、孫たちとぶらり遊んでくる予定です。

延原先生からは、昨日も今朝もつぎつぎと、新しい歌が届いています。ただいま掲載の歌は、まだ2月の歌ですが、3月11日以降の「延原時行歌集」は、ますます面白いもので、いますぐにここにUPしたいところですが、しばしお待ちいただきます。

予告通り、昨日より愛猫ミミちゃんを連れて、孫一家の襲来!! まだミミちゃんは満一歳にもなっていなはずですが、立派な風格に成長しています。

ちょっとお祝い事もあって、我が家で手作りの御馳走を囲んで、時を忘れ、ミミちゃんはひと眠り・・。狭い我が家を隅から隅まで見届けては、鳥かごの文鳥を狙い、ベランダに吊るした鳥かごにまで、目をぎらつかせています。油断もスキもあったものではありません。

こうしてブログつくりにも、ミミちゃんはパソコンの上に登ってきます・・・。