延原時行歌集「命輝く」(第830回)(延原信子先生天に召される)

      延原時行歌集「命輝く」(第830回)

        延原信子先生天に召される

   「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(特別号)

 東日本大震災3周年の記念の日(3月11日)の御昼過ぎ、延原時行先生の奥様・信子先生が御許に召されました。時行先生よりすぐ当方へも御知らせを受け、急遽12日新潟県新発田市のご自宅に伺い、すぐに「前夜式」、そして翌13日午後「告別式」をご自宅で執り行い、昨日(14日)私は神戸に戻ってきました。

 上の写真は、信子先生の美しい御遺影です。奇蹟的な御回復の姿がお部屋を明るく華やがせ、柔らかな笑みを浮かべた棺の御顔も、天国に直行された御顔でした。

 時行先生からの毎日の歌<命輝く>は、11日も12日も、そして13日も14日も、「新しい歌」が溢れ出ていました。このブログでは、ほぼひと月遅れの掲載の流れになていますので、追ってそれらはすべて掲載してまいりますが、今回は特別に時をはやめて、時行先生が3月12日の「前夜式」において述べられた言葉を含む「前夜式の歌」十首を、謹んでここに収めさせていただきます。


          前夜式の歌「御神示しぬ」十首

 
   前夜式我述べしやも御前にて三つ驚き妻示したる

   一つには手のうごきこそ上智行き講演したる命(めい)妻体す
(備考:我信子使命の人と観ずることこの時に極まれり。我妻にして御神の御使ひ)

   二つにはこれ解き明かす箴言ぞ朗々とぞや生まれ出でたる
(備考:God blessed the good day of self-reflection and self-dedication [箴言第一条]なり。2011年3月9日の事なり。新潟リウマチセンターリハビリ室春の陽光に包まれしに、ノーちゃん応ず:あの手のうごき祝されて我在りと)

   かくてこそ嫁帰りせる妻信子我がもとに在り三年有余   (備考:甦りを『嫁帰り』と呼びし妻、此度新しき真理開きぬ)

   三つには此度の惨事肺腑突き信子体する真(しん)この世超ゆ

   真(まこと)とは我ら遂にぞ死にしまま生くる世界を啓きしぞやも

   この真理ホ氏ぞ滅して不滅とぞ書きし理(ことわり)人生の極
   (備考:"We perish and are immortal"[PR,351])

   しかるゆえ横たはりたる棺の中我ノーちゃんンの笑顔見しなり
(備考:「ノーちゃんよ、さあ往こう天父の許へ」と喪主の語りを為したる我なり)

   人生の最後の姿示しつつ妻ぞ生くるや愛受けしまま
(備考:司式者鳥飼慶陽牧師の司式、近隣の人々、敬和の友方、葬儀社、の友の愛受けしままの信子、我見つつ感謝の辞宣ぶ)

   我妻よ偉大なり汝(なれ)驚愕の壁破りつつ御神示しぬ(備考:我常に我妻信子妻たると同時に神のメッセンジャーと信じ来りぬ。その解英文箴言三十条に在り:恐るべき文字智慧なるを諸氏よ見られよ。この思ひゆえ我11日の夜心喜びに満たされつ眠れり――その前に「妻の歌十五条」書き終へしまま)


 上掲の二首目の歌にある信子先生の「手の動き」の場所は、前夜式の行われたこの広い居室の書棚で、英書がづらり・・。一階のここは日差しが差し込む明るいお部屋で、信子先生は日々お過ごしでした。

 この三日間、時行先生ともたっぷりとお話ができましたが、奥様を御許に送る深く熱き思いを直に接することができたのも有難くありました。12日の時行先生のお顔を次に収めます。先生は現在76歳、まだあと20年は大丈夫の御方です。



 信子先生は1969年5月に時行先生とのご結婚後、専ら「内助の功」に徹してこられるなか、2010年11月30日の大事故から3年4か月時行先生との日々は、信子先生にとって「いま一番仕合わせや」と時行先生に告げられる日々でした。

 特に「前夜式」と「告別式」には、ご近所の方々や敬和学園大学の先生方、そして遠方よりかけつけられた御親族の方々の御会葬があり、信子先生への御献花と御言葉かけがあって、棺の中の奥様は大満足!!

 このお部屋には、昨年ポーランドでの国際プロセス会議において大変な賞を受賞された額も置かれていました。ご夫妻が親しくしておられた先生方のお写真も撮らせていただきましたので、次にそのお写真をUPいたします。



最後に、信子先生が事故後に大手術が行われて奇跡的に「嫁帰り」され、このたび急逝の場所となったこの地域での最高の医療施設「新発田病院」と、御葬儀のすべてを終えて13日夜、新発田駅前にあるお食事処「ながしま」で延原先生の御親族の方々と御馳走になり、そこでの記念に一枚を収めます。

帰路の北越新幹線で「越語湯沢」あたりの雪景色と。