延原時行歌集「命輝く」(第822回)(日の出前と昨日の「春」と「くぎに」と)


      延原時行歌集「命輝く」(第822回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(171−7)
祝福の歌、新青春の歌、奇しくもの歌、凛としての歌、三著の歌、無者の歌、深々の歌、楽しみの歌、今朝の歌、どっかとぞの歌、知るの歌、御言葉あるもの歌、良寛浮上の歌、妻の歌、悟りたりの歌、言の葉の歌、朗々の歌大和歌の歌、鰤大根の歌、次なるはの歌、継ぐの歌、夜更けの妹背会話の歌、英文稿の歌(2014年1月21−31日)

    1月26日
              知るの歌三首

   我は知るAARセミナー七年間ありてこそなり西田地保占む
(備考:米国に元々京都学派への対米戦争理論支柱なりしとの敵意ありたり。我らがセミナー「プロセス思想と西田学派仏教哲学比較的視座より」[1985−1991]この敵意溶かせり。これセミナーの(学術的を超ゆる)最大の国際政治的意味なり。人々これに注目せざるべからず。「地保」とは世界史的位置の事なり。これなくば西田先生日本ウルトラ・ナショナリズムの思想的支柱と見做され、普遍的世界史的位置保証されず。この理安倍首相知るべきなり)

   今は知るエコゾイックス神学やエコロジー時代先駆けるらむ
(備考:さりながら現在といふ時、20世紀後半ならず、宗教間対話時代の中心ならず。神のエコゾイックスの見地よりエコロジー、トマス・ベリー言へるThe Ecozoic Era、開拓すべき時なり。ここに我がOxford Lecture[July 30, 2013]及びRoland Faber, ed., Conviviality所収論文:”The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity: In Dialogue with Thomas Berry and Sallie McFague”の時代的重要性あるなり。西田は宗教間対話からエコゾイックス神学の中に地保占めるべく、進展すべきなり。旧き西田研究刷新されるべし)

   それだけの事知る我や大平安心に満ちぬ今朝清々し

            御言葉あるもの歌五首

   故郷の言の葉知らぬ大和人(やまとびと)いと多くして寂しかりけり
   基教人(ききょうびと)何を縁(よすが)に福音を噛み締めんかな御言葉あるも
   (備考:御言葉日ノ本の言の葉にあるも)

   御言葉ぞ大和言葉に隠されし奥床しさやいと奇しきかな

   日ノ本の基教こそぞや異なるもの人御言葉の称名知らず

   エスースクリストスああイマヌエル誠アーメン有難きかな



今朝の日の出前です。雲一つない澄み切った朝です。

昨夕は、お隣の奥様から、できたての「いかなごのくぎに」をいただいて、早速夕餉の食卓に。なかなかの腕前で、最高です。良寛さんに見習って、暖かいお酒をちょっぴりといただいて・・・・。



今日の写真は、昨日午後の、近場の散歩道でみつけた春の景色です。

ご近所にも、立派な「ジュウガツサクラ」が咲いていました。紅梅の梅の花水仙も・・・・。



私たちの住宅の中庭に咲く小さな梅も水仙も満開です。



同時進行の別のブログで村島帰之氏の名著「賀川豊彦病中闘史」を25回にわたって連載しましたが、本日からは『病の床にも慰めあり』の収められいる村島の小品「病みて益あり」を3回に分けて掲載します。http://d.hatena.ne.jp/keiyousan/