延原時行歌集「命輝く」(第819回)(ぶらり「春の須磨離宮公園」)


     延原時行歌集「命輝く」(第819回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(171−4)

祝福の歌、新青春の歌、奇しくもの歌、凛としての歌、三著の歌、無者の歌、深々の歌、楽しみの歌、今朝の歌、どっかとぞの歌、知るの歌、御言葉あるもの歌、良寛浮上の歌、妻の歌、悟りたりの歌、言の葉の歌、朗々の歌大和歌の歌、鰤大根の歌、次なるはの歌、継ぐの歌、夜更けの妹背会話の歌、英文稿の歌(2014年1月21−31日)

    1月23日
             無者の歌十二首

   我昔無者修行出ずなにほども生き残りなど思はざりしよ

   我が生は天地の内に在りて在る社会前にぞ宇宙に住めり
(備考:宇宙に在りて社会に在るゆえ「在りて在る」なり。社会人作りしも宇宙神創り給へり)

   日々の経験なべて小気味よし生きてあること風ぞもて来る

   その当時書き綴りしは雄鹿とぞBAMBINOにあり破家の宝ぞ

   無者我に神共にますいささかも有者なるがゆえ誠あらざる

   なにがしか有者であらねば住めぬ人競争心に悩みつきざる

   今我は無者ほのぼのと宇宙観る神エコゾイックス論じつつあり
(備考:神神内部にて絶対無の場所(エコ)即ち三位一体的神性に至誠なる故命(ゾエー)発する理(ことわり)宇宙万物活かす所以なり)

   推敲に推敲重ね二月にはこの論をぞや米国送る
(推敲:拙論"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity (Part I): In Dialogue with Thomas Berry and Sallie McFague"と題すなり。Roland Faber, ed., Covivialityのためなり。ともかくも、我が無者修行いまここに至るも)

   時あらばこの論誠突破口幾多拙著や陽の目見んとぞ
   (備考:英文拙著の事なり)

   ともかくも無者の一生不思議なり悲惨の極み華やぎてあり

   ほのぼのと無者越後来て開眼すホ氏と良寛風の神学

   再説本無者修行より始む道ホ氏良寛と歩み尽くすや
   (備考:これ念校打込む我が感懐にして)



昨日は春を告げるイカナゴのシンコ漁の解禁で賑わいました。長田港も盛況です。

そして昨日は、多くの人に親しまれてきた童謡詩人・まど・みちおさんが104歳でお亡くなりになり、朝からそのニュースが流れ、新聞やテレビでも、まど・みちおさんを偲ぶ一日でした。

まどさんの作品は、ずっと親しんできましたが、彼の100歳のときの三つの作品『百歳日記』『どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている』『まどさん100歳100詩集:まど・みちお詩の本』やドキュメンタリー映像などが、最近のこととして、鮮やかです。「老衰のため」だそうですが、激動の時を生きた、祝福された天寿でした。

いまどき104歳といっても珍しくはありませんが、まど・みちおさんのように、生涯、詩や絵や豊かな表現をかさねて、自ら楽しみ、人々を和ませて生きる、あの姿は、わたしたちへのかけがえのない贈り物でした。

ぞうさん」や「一年生になったら」など、昨日もたくさんの「うた」が流れました。わたしはまどさんの作品のなかで、あの「トンチンカン夫婦」が一番好きでした。

今日は公民館の「作品展」を観てきます。
若き日、ゴム工場でぎっくり腰の労災経験のあとに数年間、まだ仮設公民館のころに嘱託として働かせていただいたこともある場所ですが・・・。

本日の写真も「ぶらり<須磨離宮公園>」の数枚を収めます。



いまも「ジュウガツサクラ」が咲いていました。