延原時行歌集「命輝く」(第809回)(「雪の宇奈月温泉」)

   延原時行歌集「命輝く」(第809回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(170−3)
笑みや豊かにの歌、妻の命の書の歌、昨日今朝癒し四相の歌、恩寵一閃の歌、悟りたりの歌、今朝の祈りの歌、昨夜妹背会話の歌、漸くにの歌、御業進めんの歌、高橋クリニックにての歌、復活の歌、基あり華やぎ豊かの歌、昨日驚きぬの歌、歌の歌、人の歌、念校の歌(2014年1月11−20日

    1月12日
           恩寵一閃の歌五首

   御神の御業ここにぞ在るを知るこの喜びに優るものなし

   癒しをばただ求め行く我ならず癒し隠さる此処を掘るなり

   越後路に雪深々と今日も降る我は掘るなり雪積る此処

   此処を掘る越後の悲劇日々に掘れば歴々恩寵一閃

   かにかくに人は言ふとも越後路の雪の悲劇に春隠さるる

   (備考:この春復活の春なり)

    1月13日
            悟りたりの歌十首

   悟りたり妻省献の佳き日こそ祝さるる事無者のみちとぞ

(備考:1969年5月28日兵庫県川西市加茂の高台にありし我が開拓伝道所「加茂兄弟団」に嫁ぎ来たりし日より妻我が無者道を見、いかにかして我を世に出さんと決心せしとか。この決心我と妻を一度米国へ運びたるなり。日本基督教団新報に米国留学公募見て我に応募を熱心に勧めしは、この決心によりてなりし。この熱望2010年12月1日再度燃えしなり「上智に行きて講演せよ」とーー殆んど己が死の迫るに直面せしにも拘らず。みち「満ち」「道」と読むべし。妻、無者が「満ちる事」熱望せしなり。加茂時代にも、今の時にも。かくてこそ「手のうごき」顕れたるなり。我了解せり)

   無者の道修行せんとぞ思ひ立ち我母教会辞す行く方知らず

   そこここに我見出せり命のぞ震へる経験永久の時まで

   かくてこそ日ノ本基教地に着きて命輝く未来探りぬ

   ほのぼのと無者越後来て開眼すホ氏と良寛風の神学 

   雄鹿誌に書き綴りたる初心には無者発願や赤裸々にして

   天来の風に吹かれて歩みたる我が無者道のここに至るも

   我が道は風の神学今は言ふホ氏と良寛相睦みてぞ

   堂々と宇宙時代の乾坤や我が神学を押し給ふなり

   押されては押さるるままに歩むのみ風の神学我覚りたり



「雪の宇奈月温泉」 今回で最後です。露天風呂から眺める雪景色もよろしいのですが、これは写真にはなりません。

お宿の広い部屋から見る白い眺めも、雪の街のぶらり散歩も、いずれも佳し。



このお宿には、昭和天皇ライシャワー川端康成幸田文、前に載せた夢二や与謝野夫妻、そして棟方志功などもくつろいだようで、お花や置物も格別なものばかりでした。