延原時行歌集「命輝く」(第807回)(はじめての雪の宇奈月温泉)

  延原時行歌集「命輝く」(第807回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(170−1)
笑みや豊かにの歌、妻の命の書の歌、昨日今朝癒し四相の歌、恩寵一閃の歌、悟りたりの歌、今朝の祈りの歌、昨夜妹背会話の歌、漸くにの歌、御業進めんの歌、高橋クリニックにての歌、復活の歌、基あり華やぎ豊かの歌、昨日驚きぬの歌、歌の歌、人の歌、念校の歌(2014年1月11−20日

    1月11日
          笑みや豊かにの歌十首

   越後住む智慧得んとてぞ雪囲ひ試みたるよ妻やけなげに

   その時は我引退後三年目著作打込みおりし最中ぞ

(備考:敬和学園大学チャプレン兼哲学教授に1991年4月1日赴任せり。2008年3月末日退任す)

   二十年敬和来てより二重職脇目もふらず家の事なし

   その隙間妻埋めんとぞ活躍す梯子登りてあっといふ間や

   秋終る小春日和に宙に舞ふあの一瞬や悲劇到来

   (備考:2010年11月30日の事なり)

   妻抱き我決然と立ち上がり一瞬にして人生転回

   妻一番他はなべてみな二番なりかく決してぞ病院にTEL

   (備考:2010年11月30日夜県立新発田病院当直医に手術準備依頼す)

   何ごとのおわしますかは知らねども妻手のうごき示したるかな

(備考:2010年12月1日早朝救急車到着直前の事なり。居間に寝かされたるまま自由なる右手にて二度書棚の書物動かし、三度目は洋傘鷲掴みせり。我に上智大学に行き予定どおり講演せよとの無言の依頼なりき。大怪我の中死期迫らんも。これ我凝視せり。この手のうごき妻の動作なるかはたまた御神のなせる御業なるか。かくて我妻の手のうごき胸に上京せり。妻を新発田病院にて手術後病室に幾たびもの祈りの後置きたるままにて。有難くも義妹兄弟詰め給ふ。4日上智大学田中裕教授妻の倒れしこと懇親会の席上告げたれば、彼泣き伏し給ふ。そのこと義妹順子さん携帯に告げれば、そのこと妻に告げらる。その瞬間なり妻の両眼からドッと嬉し涙あり。手術後四日目にしてこれ意識回復の慶事なりき。手のうごきここに至れり)

   やがてにぞ不思議なるこの手のうごきGod blessed the good dayとぞ妻詠ひたり

(備考:新潟県立リウマチセンターにて2011年3月9日の事なり。その日春の陽光リハビリ室に満ち、妻五十嵐療法士差出したる一片の紙にすらすらとかく書きたるなり。前年12月1日のこれまた不思議なる回想のごとし。聖パウロの復活の主に出合いたる日の如しと妻述懐す)

   かくてこそ妻奇跡のぞ人となり復唱朗々笑みや豊かに

(備考:一昨夜も愛宕の園にて「あんた天才か」「まあね」とぞ。2014年1月9日の事なり)



いままだ各地で大雪に閉じ込められている被害が続いていますが、先日(2月12日〜13日)の「小さな旅」はうまく天候にめぐまれて、予定通りの旅を満喫しました。

はじめての「宇奈月温泉」の雪景色は素晴らしく、散策マップを片手にして、まずはぐるっと宇奈月の街をひとまわりして・・・。

温かい温泉が噴き出ている「宇奈月温泉駅」もおもしろく・・・。



このたびのお宿は、お湯はもちろんのこと御馳走も地酒も素晴らしく、古くから人々に愛されつづけてきた老舗旅館で、びっくりしました。

大きなお宿のなかには、多くの立派な季節の花が飾られていて、夢二の作品や与謝野夫妻のうたなど、湯上りにゆったりと、それらに見惚れてしまいました。