延原時行歌集「命輝く」(第799回)(神戸・長田の海と船と鳥と)

   延原時行歌集「命輝く」(第799回)

「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(168−9)
Krakow稿推敲の歌、近人生の歌、命脈々の歌、良寛最晩年至福の歌、又二つの歌、昨夜愛宕の園にての妻の歌、新著の歌、我が道の歌、ノーちゃんよの歌、大発見「翻り本姿」の歌、Krakow稿完成の歌、友の光の歌、敬和華やぎの歌、朗々の歌、拙著一番の歌、散髪の歌、宇宙時代の良寛再説の歌、その果てにの歌、しみじみの歌、今日の歌、神表現の歌、肉じゃがの歌、奇跡の歌(2013年12月21−31日)

    12月30日
            肉じゃがの歌一首

   寒冷やきたあかり煮る温かき肉じゃが口に美味しいと妻

(備考:きたあかり北海道産馬鈴薯なり。近くのとんとん市場=農産物直売店=にて求む。朝餉の後腕によりをかけし我妻のテストに及第す。外は霙)

    12月31日
            奇跡の歌四首

   怪我の後何を奇跡と呼ぶべしや手のうごきほど驚きしなし

(備考:怪我の後居間に寝かせし我妻自由なる右手にて作り付けの書棚一段目より和書英書二回にわたり取り出すそぶり見せ、三度目には旅行用の紳士物洋傘鷲掴みせしを見たる時ほどの驚愕なし。これ妻なすや、はたまた神なし給ふや。この驚愕、今も鮮明なり。手のうごきに励まされ我上智大学にてのEcosophia Symposium講演に赴きたり。新発田病院に2010年12月1日早朝妻を入院させ直ちに緊急脳外科手術せし、三日後の12月4日の事なり。病室には妹、兄、弟詰めたり。手のうごきなかりしならば、幾らなんでもこの夫可愛い妻を緊急手術の後病室に残して、あろうことか講演に赴くことあらじ。すべてはあの驚愕より始まりしなり。妻倒れたること田中裕教授に話すや、彼懇親会会場にて泣き崩れ給ふ。そのこと携帯にて新発田病院の義妹佐々木順子さんに伝へし所、直ちに順子さん妻に告ぐ。と、ドッとノーちゃんの眼より嬉し涙溢れたり。即ち意識回復したるなりーー手術後三日目になり。何たる奇跡ぞ!)

   これをこそ妻箴言に詠ひしよ省献佳き日神祝せりと

(備考:2011年3月9日新潟県立リウマチセンター・リハビリ室にての事なり。五十嵐療法士の差出したる一枚の紙に妻その日の陽光に感動し、”God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.”とすらすらと書きしなり。2011年3月9日になって、2010年12月1日早朝の「手のうごき」より始まれる己が身の癒しに付きかく書きしなり。自己反省とは「父さんに十分活躍させていなかったことを主に懺悔します。」との事、献身とは「父さんを上智の講演に行かせます、主よ。」との事。瀕死の状態の中における《懺悔と献身の手のうごき》に下りたる神意こそ、延原信子の癒し=6%の生存率しかなきこと執刀医の渡辺徹ドクターより聞きたる病状よりの甦り=なりしなり。実に天来の御祝福下りたるなり)

   かかること我「あなたに」に記したり奇跡証言今に続くも

   このたびの新著あとがき記したり妻内助の功有難しとぞ

   (備考:常ならぬ「内助の功」なるも)


わたしのパソコンもだいぶん賞味期限に近づいているようです。今回も文字のゴチックや色付けは、あとで他所のパソコンで補正をする積りです。写真のダウンロードはうまくいったようで、ありがたいことです。

昨日から冬のオリンピックが始まりました。またひとつ、楽しみが加わりました。

今日の写真は、「長田区」にいるわたしたちの港の景色を数枚収めます。上の写真は、漁船のマストにとまる鳥たちです。観ているだけで、清々しくさせられます。