延原時行歌集「命輝く」(第2986回)(二匹の猫ちゃんがポーズをとってくれました)

 延原時行歌集「命輝く」(第2986回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も初めに先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

4月16日 神表現共創に伍すの歌八首
    (* 鳥飼先生 4/15, 2018 23:26)
一 そうですね巻末謝辞をキリリと締めて「神表現」の向きをや見ん
二 これはぞや滝沢神人学の面白さ「原事実」どまり非ず突破なり
三 従来や「イエス教導」「だが無縛」根底にこそ「原事実」とす
  (備考:『純粋神人論序説』272頁の限りでは)
四 これに我「至誠神学」にて批判「空神至誠」「神至誠喚ぶ」
五 滝沢の「原事実」をば突き破り「空神至誠」神至誠喚ぶ

  (備考:その事「最晩年の滝沢書簡」(1983年7月1日夕付)における我が所説への”treu”の明記に徴表されたるなり)
六 かくてぞや「神至誠喚ぶ」にて「神表現」の命わざ産む
  (備考:『純粋神人学序説』273頁にて起りし事なり:「純粋に神人学的に考える人間は、したがって、自分自身を一つの存在者として知っている。この存在者は一方では、絶対的に偶然的であり、あらゆる歴史的形態を持った規定から自由であり、他方ではしかし、何よりもまず、そのようなもろもろの規定とは比較にならないほど厳しい、唯一の神の規定、すなわち人間は、まさしく初めから終りまで、このような偶然的な存在者として自分自身の生涯において生ける神ご自身を表現すべきであるという、唯一の神の規定の下にたっているのである。このようなものとして人間は、たとえ苛酷な歴史的状況にあっても、絶えず希望に満ちている。」)
七 これだけの力点あれば「神表現」原事実超え「新現在」ぞ
八 かくてぞや「神表現」やホ氏のぞや「共創」に伍す

  (備考:See Dialogues of ANW, 366:”In so far as man partakes of this creative process does he partake of the divine, of God, and that participation is his immortality, reducing the question of whether his individuality survives death of the body to the estate of an irrelevancy. His true destiny as co-creator in the universe is his dignity and his grandeur.”)
IXIA!
延原時行

(* 4/15, 2018 7:48 PM: 「延原先生 今日も有難うございます。先生の新著『哲学の喜び』の印刷所選びも始めっているかもしれませんね。『復活の省察』をお出しになった考古堂、『対話論神学の地平』の春風社、『ホワイトヘッドと西田哲学のあいだ』の法蔵館、そして「仏教的キリスト教の真理」の行路社など、どの出版社も興味を示しておられることでしょう。すでに『受肉の神学』をはじめとした先生の膨大なネット上で著作群(全20巻)の出版に向けたご準備も楽しみに存じます。英書の大著の刊行と共に!!
御礼方々ご期待まで!!! 
IXIA!! 鳥飼慶陽」)

二匹の仲良し猫ちゃんがポーズをとってくれました。

目の前にムクドリが一羽・・・・

ベランダから瀬戸内を航行するフェリーと久しぶりに上った高取山。

おわりに、私たちの住宅の花壇と美しく咲き始めた藤の花。