延原時行歌集「命輝く」(第2971回)(大著『哲学の喜び』愈々です!)

 延原時行歌集「命輝く」(第2971回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

嬉しい朝です。先生の大著『哲学の喜び』が愈々動き始めます!
早速、先生から届いたメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


○(30日)「序に代えて」にちなみての歌六
      (* 鳥飼先生 3/29, 201823:03)

 一 先達の「序に代えて」をぞコトリとや拝受せる我大感激や
   (備考:新著『哲学の喜び――チェンジの時代に、根底を省察する滝沢語録を読む。』のために昨日いただいた小野寺功先生の御論考「延原時行さんの哲学を推薦する――序に代えて――」なり)

 二 昨日や隅から隅まで拝読す九十二年出会ひからの記

 三 あの時やのっけからなりボストンの寿司屋で一献戴きぬ我

 四 先達や東西交流学会に我が著抱へて「寿司おごろう」と
   (備考:拙著『仏教的キリスト教の真理』(京都・行路社、1987年)なり。「開拓伝道の手記や説教も入っててお恥ずかしい」「いや、それがいいんだ」が会話の初めなりき)

 五 何よりも有難きはぞ最近の愚考や特記なさる筆致ぞ
   (備考:例へば、以下の如し:「以上のように、延原さんは、滝沢哲学の最も忠実な継承者でありながら、その原点主義を批判され、ホワイトヘッドのプロセス思想に依拠して「原事実の新しい現在の産み出し」という、きわめて独創的な見解を打ち出しておられる。そしてこの創造性が「哲学の喜び」の源泉になっているのである。
 またそれのみならず、延原哲学の卓越した業績は、これまでの滝沢先生の「インマヌエル」の解釈は、「太初のロゴス」(神・人インマヌエル)のみに限定されていたとして、新しく「神共インマヌエル」の問題を提起しておられることである。
 これはヨハネ福音書の「初めにみことばがあった。みことばは神とともにあった」に由来するもので、インマヌエルの原型はここにあるという新解釈である。これは神学的にも哲学的にも重要な発見であって、国際的反響を呼んだものである。
 このことは、私の言葉でいえば、神の三位一体的関係を意味するもので、神内部での「原受肉」がなければ、神と世界の間での受肉はありえないとする見解である。こうして「自己の現在」は、聖霊の働きによって、常に進展し、「哲学の喜び」を体験することになるといえる。
 二十一世紀は「聖霊の世紀」といわれて久しい。本書の結論の部分で、「あらしめられてある」私の「聖霊の神学」が紹介されているが、あのボストンでの最初の出会いを想起し、感慨を覚える。
 若い未来のある学生達を対象とし、十七年の長きにわたって検討し、磨き上げられたこの哲学の名講義は、哲学入門として最適であると私は考える。たとえ難解な点が多々あるにしても、各人各様に啓発され、受けとれる含蓄豊かな哲学書である。
 真の自己確立を求める心ある方々に、ぜひ本書を手にすることをお勧めしたい。」)

 六 哲悦の輝きあらば核時代人類(ひと)や超えなむ「神表現」に

(* 鳥飼師 3/29, 2018 8:58 PM:「今は年度末ということもあって関係している法人の会議が続きます。今晩は会議の議長役も重なり無事終えて戻ってきました。少々疲れを覚えるようになってきました。年なんですね・・・。今日は滝沢克己協会の関西支部恒例の「等石忌」の日程調整が整い会場の予約も完了しました。神戸を不在にしているあいだも「学ぶ会」を熱心に継続しておられます。かつての「神戸自立学校」の再スタートのようで楽しみです。御礼方々ご報告まで。
IXIA!! 鳥飼慶陽」)

昨日は神戸も暖かく桜も満開! 散り始めました。

広場には一羽のツグミと二羽のムクドリと出会いました。

会議に出掛ける途中の桜と海を眺めて・・・