延原時行歌集「命輝く」(第2931回)(ゴブの木を植えました)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2931回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    11月6日

          生涯の幸是の歌十二首

 一 生涯に我英文稿幾十篇諸誌に寄せたり今や推敲

 二 彼の日々やなくば今なしこの日々やげに青春や熟年祐く

 三 これぞ比喩営々とぞや尽力も御国で愛づる彼の日々永久に

 四 「本作る父さんやって」いかにもよ天地で運ぶこの仕事哉

 五 今日もまた推敲進む英文著三十四年昔再来

   (備考:Ch. 3 “Principles for Interpreting Christ/Buddha: Katsumi Takizawa and John B. Cobb, Jr.,” Buddhist-Christian Studies, Vol. 3, 1983, 63-97.三十四
頁!これ、何たる長大論文ぞ。それ好みし故D. W. チャペル編集長の友情今も深謝無尽なり)

 六 英文でこの二世紀の神学を活写なす事我が使命燦

   (備考:全体のタイトル:Three Theological Adventures in Process Perspective:
Christology, Buddhist-Christian Dialogue, and Divine Ecozoics なり)

 七 日米の恩師業績学びてや我が道辿るそぞろこの著に

 八 妻と共クレアモントを散策す彼の日々在りて論考練りたり

 九 全貌ややがて世界に公開す東西神学練りに練りてや

 十 名付けてや仏教的の基督教神学や是世に亦と無し

 十一 人として生まれ来りて望む事永久の祈念の業残さむも

 十二 この著ぞや無事上梓のぞ成るならば八十路まだまだ陸続とぞや





これはネット上でみる「グミの実」です。
私の故郷・鳥取県関金(せきがね)町の我が家の裏畑には、私の少年のころまでは、立派な「グミの木」があって、毎年美味しい実をつけていました。

故郷では「グミ」のことを「ゴブ」とよんでいました。
「ゴブ」は何十種類もあるそうですが、故郷の裏畑の「ゴブ」は1メートルほどの、あまり大きくない木でしたが、毎年豊かに実をつけて、塩を少々まぶして食べると、何とも言えない美味しさで・・・私はこれが大好きでした。

この「ゴブ」のことを、一般には「グミ」というのだということを学んだのは最近のことで、ご近所にある「グミ」をたべてみると、それらしい味はするものの、私の食べた田舎の「ゴブ」とは全く違うのです。

以来、少年のころ味わったあの「ゴブ」の実を食べてみたい!とひとりごちするもので、このまえ、わざわざ植木屋さんで「ゴブの木」と言われる苗を買ってきて育て上げてくれて、昨日は孫たちが、その育て上げた「ゴブの木」というものを、休日を利用して、自動車で運んできてくれました。スコップまでもって、植え替えに来てくれたのでした。

植え替える場所を、可愛い猫ちゃんたちが見ているところ――住宅の花壇の近くーーに決めて、穴を掘り、腐葉土など入れて、大きく育った「ゴブの木」を植えました。

しばらくは朝夕、水やりを欠かしてはなりません・・・
ホンマにこの木が「ゴブの木」かどうか・・・、はたして、少年のころ賞味したあの「ゴブの実」がなってくれるものかどうか・・・

ともあれ昨日は、この植木作業を終えて、みんなで(五人そろって)ご近所のいきつけの飯屋:「哈爾濱」(ハルピン)さんでお昼ご飯を・・・・

昨日も午後の散歩で「秋の桜」を見てきました。いつものように美しく咲いていました。
(この桜の樹のある古民家ーー大震災の後、淡路島から古民家を移築して、自治会が自前で集会所として活用していますーーでは、お祝い事の宴会が始まっていました)

花壇の花や猫など・・・

昨夜は「十六夜」・・・夜のお散歩も・・・・