延原時行歌集「命輝く」(第2893回)(夕焼けと猫たちと)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2893回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    9月29日

         イマヌエル成るの歌ニ十首

 一 第三章推敲想起恩師がやバルト学びてロゴス知る頃

   (備考:第三章“Principles for Interpreting Christ/Buddha: Katsumi Takizawa and John B. Cobb, Jr.”の推敲に入りたり。嬉し。一歩一歩感動しつつ)

 二 それにせよバルト発見跡付けし「原事実」学濫觴の頃

   (備考:英文稿打ち直しつつバルト、滝沢のロゴス再発見を読み直す、再学習楽し)

 三 我はしもその息吹をや承けてぞや「原受肉」学想到せしや

   (備考:両先達の想再考の時なり、深く掘らむ)

 四 バルトはや『クリスマス』にて述べしなりヨハネ「ロゴス」を「自己」となすとぞ

   (備考:See Karl Barth, Christmas, trans. B. Citron, Edinburgh and London: Oliber and Boyd, 1959, pp. 9-10; “…to the evangelist it is as certain as his own existence, and as self-evident as the truth of an axiom…This is a Word which is thought and spoken in the eternal ‘beginning’ of all things.”)

 五  自己と言ふ自己の深みの事なるや「神共」ロゴス原受肉成す

 六 神我と共に在(ま)します道理はや「神共」ロゴス「太初」内住

 七 共と言ふ事ロゴスはや先ず神と在(ま)すを「太初」に注ぎしやこそ

 八 この深み謝する事なく「原事実」イマヌエルとは平板に過ぐ

   (備考:これ滝沢「原事実」論の欠点なり。恩師これに「太初」(『ヨハネ』1・1・第一項)を見、「神共ロゴス」(同第二項)語らず)

 九 「神共」のロゴス深みぞ在りてこそ「太初」内在即「原受肉

 十 ここにぞや絶対矛盾「一」のぞや不思議在りてやイマヌエル産む

 十一 然ればやイマヌエルとや在るやなし「太初」に注入成る「原受肉

 十二 恩師はや「原事実」はぞ在ると見る我「原受肉」成ると言はむも

 十三 イマヌエル「神共」ロゴス在りてこそ「太初」に受肉成るの恵みぞ

 十四 さらばこそ成るの力動溢れてや主イエス「神国」近づけりとや

   (備考:『マルコ』1・14-15:此処に「神の」「国」「近づけり」の三段階あるなり。形而上学的分析なすなら、①「神共」ロゴス、②「太初・原事実」、③到来、の三相なり。通常、第三の「到来」が、イエスの宣教活動の当所なり。これ、ホ氏に依らば、参与者:Partaker(s)なり)

 十五 恩師はや原事実はや在るとしてバルトの「成る」を論駁せしや

 十六 図らずもこれ「原受肉」想到のなきや未熟の結果なりけり

 十七 イマヌエル「原事実」とや言ふ時や絶対客体見る者は我

   (備考:即ち「滝沢の我=主観」なり)

 十八 イマヌエル「原受肉」とや称ふ時絶対主体見る者や主ぞ

 十九 「神共」の主ぞ見給ふの出来事や「原受肉」はや参与者を産む

   (備考:ホワイトヘッドの言ふ《Partaker(s)》 「参与者」なり[ANW’s Dialogues, 366]。滝沢の「原事実論」の難点、原点だけで参与者産まぬことなり。絶対客観的原事実と「見る者」しかおらぬ形而上学的情景なり。「見る者」すなわち哲学者=滝沢本人なり。この情景、ハイデガーの哲学に似ること、弟子のハンナ・アーレント批判せり)

 二十 父よりぞ御友や聴きてなべて(=原受肉)告ぐ「友よ」と語り参与者を産む

   (備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照。このテキスト、新約聖書中にて参与者A+Bを叙述せる点、形而上学的に見て、新約聖書の解釈原理を示すものなり。解釈者は我の言ふ「御友」なり、そこに展開さるるもの「御友神学」なり。神学は、我ら専門的神学者の成す前に、御友の「神学び」のことなり。この事を認識せぬ点において、新約学は誤謬の論なり)

 二十一 原受肉「神共」ロゴス産みし故受肉の御友・我ら参与す

   (備考:①「神共」ロゴス→②「太初」に原受肉成す→③参与者A=[御友]産み→④「友よ」と招き在る故、⑤我らも参与者Bとして求めらるる故に、ホ氏の言ふ「共同創造:Co-creation」の世界現出す。此処に「キリスト教」成立す。恩師の場合、参与者(AもBも)なき体系なるため、キリスト教成立困難なり。

*キリスト教成立の我が解説図の提示、以下の如し:

 I  動因(「神共」ロゴス=『ヨハネ』1・1・第二項)

 II 場所的媒介(「太初」ロゴス=「原事実」=『ヨハネ』1・1・第一項)

 III 原受肉=インマヌエルの生成 I×II の「絶対矛盾の自己同一」

 IV 参与者A[受肉]=御友

 V  参与者B[受肉継続]=御友の友ら(Co-creators:共同創造者たち)

 VI 永遠の参与:復活永生(動因への受容、終末論)

    


ベランダから望む昨日の夕暮れです。今朝の鮮やかな快晴を予告していました。

昨日の昼は、チャリンコに乗って、卓球台のある会議場まで・・・途中で多くの猫たちがポーズをとってくれました。