延原時行歌集「命輝く」(第2738回)(新湊川のカモとフジ)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2738回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    4月23日

           つらつらの歌十二首

 一 「哲学の喜び」をばやつらつらと再読三読楽しかりけり

 二 考へに考へ抜きし講義録我が哲学の粋やこれなり

 三 恩師のや「原事実」をば変換す《原事実ぞや「新現在」産む》
   (備考:我が哲学原理《原事実の「新しき現在」の産み出し》なり。これ原事実事実存在を仲介なしに支へるも、この垂直関係のみならず、同時に水平関係や産み出さる。即ち、《原事実の「新しき現在」の産み出し》なるや。かくて、

 事実存在(我在り)  我思ふ    価値創造(喜び) 反省=確認
 ―――― =(産み出し)―――=(産み出し)―――=Cogito, ergo sum.
 原事実        事実存在    新しき現在   新しき現在
  
の等式成立するなり。喜びとは、「自己存在の現在に現在的なる事」(キェルケゴール)なり。事実存在(実存)は本質に先立つ(サルトル)故に、必ず流れ、プロセス、産み出しあり。人は在りて考えぬという事あり得ぬなり。而してこれ原事実の呼び出しなり。(我思ふあいだ)我在りに依る事思へば、この事確認する(故に)デカルト反省的思惟の中でCogito, ergo sum.と言ひたるなり。後に、「我思ふ」を《res cogitans》 (思惟存在)の近代的自我が「我在り」を確立するといふ風に「因果的」に考えたるは、誤謬なり。実際には、左辺から右辺、さらに右辺の右辺への「産み出し」を反省的に遡及して原初の「sum.」を「絶対真理」として確認したる過程を「ergo」(故に)と言へるなり)

 四 かくてこそ左辺右辺の考察や始まりにけり哲学開眼

 五 原事実事実存支へたる新現在を産み出すや喜びや湧く
   (備考:事実存在        我思ふ    喜び
       ―――― =(産み出し)―――― = ―――― )
       原事実         我在り    我思ふ 

 六 恩師はや垂直関係(仲介なし)見れどもや産み出しや見ず動きにうとし
   (備考:されどもや、(仲介なし)絶対に個的なるもの一切の一般概念を媒介せずに直ちに絶対なる者(無)に於いて在る消息を見しや、偉大なり。これ、ホ氏、解明して曰く:”The definiteness of fact is due to its forms (形相); but the individual fact is a creature, and creativity is the ultimate behind all forms, inexplicable by forms, and conditioned by its creatures.” [PR, 20])

 七 原事実あれば我在り新現在産まるる処我思ふなり

 八 更に猶反省なすや遡及的我思ふとは我在るの内
   (備考:どこどこまでも《原事実の「新しき現在」の産み出し》広がれば、Cogito, ergo sum.なり)

 九 サルトルの無論も又や面白し無を見る者や宣告す

 十 人間は自由であれと宣せらる無を見る者の宇宙にあれば

 十一 「哲学の喜び」本の出ずる秋我が喜びや分かつべしやと

 十二 哲学や根底的に在るととも喜び常にプロセスならむ
   (備考:『哲学の喜び――チェンジの時代に、根底を省察する滝沢語録を読む。』や一大旋風巻き起こさむも)






ソメイヨシノは終り、いまはサトザクラが満開です。

本日の写真は、昨日のぶらり散歩で遊んだ「新湊川」です。

先ずは、新緑の柳と川遊びをするカモたちを・・・

終りに、ここにも素晴らしいふじ棚があって、いま美しい花をつけ始めています。