延原時行歌集「命輝く」(第2680回)(ねこととりと)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2680回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    1月24日

            佳き哉の歌七首

 一 朝寒し昨夜作りし鰤大根温めて銀シャリお湯かけと佳し
 二 本贈る悦びの日や三つ揃へパリッと着てや心正装
 三 滝沢本二著新たにや構想しソファで楽しむ時や佳き哉
 四 我妻もこの構想に添ひし如「父さんやって本作る」言ふ
   (備考:ソファでの転寝の中で我かく聴くや嬉しや。2014年2月13日、北越病院にて祖父江八紀ドクター「何したい」と問へるあり。我妻応へたり「本作る」。突如我が方を振り向きて「父さんやって」とせがみたり。ここに信子作者、我執筆実作者、の本作り態勢出でしなり。かくて我が本作り、我妻の永久の楽しみとは成れり。いと可笑し)
 五 かくてぞや本作りとは何ならむ生死を超ゆるいのち仕事ぞ
 六 今生の学術栄誉それはそれ本作りとはいのち仕事ぞ
 七 先達の御文来るや喜びやいのち仕事の響き合ひ是
   (備考:小野寺功先生御書簡2月18日付来、感謝無尽も:「大変長い間ご無沙汰致しておりました。かねてから白内障のみでなく、眼の調子が悪く、二度入院して眼の手術をしました。何とか読者ができるようになりました。残る人生の課題と生きがいは、学兄と同じく著作にありますので、読書や執筆が出来るのは、本当に有難いことです。
 「一度とて妻去りしとや思はざる我の心や不思議なりけり」、また「我が著作にぞ妻や住みおり」
 こうした歌の心境には到底及びませんが、見事な夫婦愛と生き方だと思います。
 最近 稲垣良典先生が筑摩文庫で「カトリシズム入門」という本を出され、その中で大拙の日本的宗教性(霊性)と西田哲学はその深い内在的超越の領域でカトリシズムと一致できる可能性を指摘していました。
 これはカトリック内部では珍しいことで、ここまで言い切るのは相当勇気のいることだと思います。やはりこうした思潮の流れは無視できないということなのでしょう。
 滝沢先生の「原事実」としての「インマヌエル」を「原受肉」と捉える発想に深く共鳴させられました。
 滝沢先生が「原受肉」の思想家という御指摘は、実に適切で、全くその通りであると思います。私はどうも「ロゴスは神と共に」という箇所が昔からよくわからなかったのですが、「内三位一体的神性を指す事態」ということで、なるほどとピンときました。
 御教示大変有難く存じます。
 ここに来て世界史の動向と、日本の精神史的状況が大きく変わって参りました。
 延原先生の「対話論的地平」が大きく開けてきつつあるような気が致します。そして「御友神学」からのアプローチが、唯一有効であると考えます。
 私はこれまで歴史解釈の「アルキメデスの点」をひたすら追求してきましたが、やっと足場が確立しましたので、そこからチャレンジしてみたいと思います。
 寒さが続きます。お元気で。
     二月十八日  小野寺 功
 延原時行様」)





本日の写真もいつものように「猫ちゃんたちと鳥ちゃんたち」です。ぶらり散歩で、近くの公園に行くと、鳥たちが目の前に飛んできます。居ながらにして野鳥の観察が出来ます。

沢山のスズメたちと共に、ツグミセキレイと・・・。

そして、猫たちも、例の三匹の仲良しが並んでうとうとしていたり、別の場所では、同じく三匹の猫たちが集まって何やら相談を始めて居たり、二匹の猫が物置の上でまどろんでいたり・・・・

昨日は喜寿を迎えた僕の誕生日で、夕餉はいきつけのめし屋さんでお祝いをしてもらいました。