延原時行歌集「命輝く」(第2674回)(サクラと梅、ツグミとスズメ)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2674回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    1月18日

     (第三題)バルト神学批判改変の歌十首

 一 バルトはや御友を常に従順(Gehorsam)と見てや平板和解論書く
   (備考:彼の和解論、「神の子の従順」Der Gehorsam des Sohnes Gottesの論なり。それが故か、恩師滝沢常に「イエスに縛られたくない」と言ふモチーフに動かされぬ。このモチーフ純正なると我思う。されど、我のさう思ふは、滝沢の如く、「インマヌエルの原事実」を滝沢の如く至当と思ふからにはあらで、これを超ゆる「インマヌエルの原受肉」によりて滝沢説を刷新する故なり)
 二 そこに無し御友神学深みなる原受肉「友!」飛翔三態
 三 若き日に我や書きしや「従順」を「祈祷の基督」核心ぞ見ゆ
   (備考:我常に同志社修士論文(1962年)「バルト神学における祈祷理解」心に帯同す。その第三章「祈祷のキリスト論」なり。ここに於いてバルトの和解論の核心「神の子の従順」Der Gehorsam des Sohnes Gottesを批判改変なしたり。最も純正なるキリスト論の核心は、従順理論にはあらで、祈祷のキリスト論にありと信ず。ここにpros ton theon [神と共に]一句その時以来我が神学の核心なりき(この点我P.T.ForsythのJustification of Godに学びたり)。これ、『ヨハネ』1・1・第二項「ロゴスは神と共なりき」の立場なり。恩師滝沢、「インマヌエルの原事実」の立場を『ヨハネ』1・1・第一項「太初のロゴス」に基づきて主張さるるも、この立場「絶対偶有」の哲学に囚われたり。そこに「原事実」の含意ありたり。されど、よくよく注意なすとき、この主張の内部に一切「インマヌエル」(神我らと共に在す)の積極的解明見られず。しかるに滝沢先生一生涯このままにて「インマヌエルの原事実」の主張頑強に保持し続け、其処から恩師バルトの「ナザレのイエスの人格と歴史において初めて神と人との結合の真理がもたらされたり」を論駁されたり。この問題を精査するとき、まず「インマヌエル」の理解に関して、①『ヨハネ』1・1・第二項の「神と共」《pros ton theon》 によるべきこと、②決して同第一項の「太初のロゴス」(=絶対偶有の哲学)によってはならぬこと、③其処には「インマヌエルの」含意見られぬこと、――の三点注意すべきなり。これら三点の関所を突破なすものありとせば何処にありや? 我発見したり:「原受肉」にこそ突破ありたり。第二項の「神と共」pros ton theonが第一項の「太初のロゴス」の含蓄せる「絶対偶有」に《原受肉》なされしならば、かかる奇蹟があるならば、滝沢の立論救抜され得るなり。これ、わが「インマヌエルの原受肉」の主張なり。この主張なくば。恩師の「インマヌエルの原事実」論論拠なきなり)
 四 彼の時にpros ton theon [神と共]ぞや既に見ゆ祈祷核心喜悦滾りて
 五 今ぞこそこの核心やこの世のや底の底にぞ原受肉
   (備考:深き低み=実存の根底、人間の原点、滝沢の言ふ「絶対偶有」なり。底の底=「神と共」(pros ton theon、原初のインマヌエル)の原受肉なり。絶対偶有より「神と共」の原受肉より深からずば、神の世界への愛(『ヨハネ』3・16)全からず)
 六 それ故にバルト「従順」誠にや原受肉のぞ御友姿よ  
   (備考:バルトの一語で「従順」と呼ぶ和解の真実は、恩師滝沢の主張する「インマヌエルの原事実」の包含する「原事実とイエス」(即ち、第一義と第二義の神人の接触に二重性)に比すると、神学的に重厚ならず、浅薄なり)
 七 恩師のや「原事実論」姿変へ「原受肉論」此処に現る
 八 面白し「原受肉論」ホ氏はぞや「神は世にあり」(God is “in” the world.)言ひ置きし哉
   (備考:See Dialogues of ANW, 366;西田も「場所的論理と宗教的世界観」にて内在的超越を論述せり。論及すべきなり)
 九 而してやその解明や「神のぞや原初本性」にてホ氏やなす
   (備考:”Viewed as primordial, he is the unlimited conceptual realization of the absolute wealth of potentiality. In this spect, he is not “before” all creation, but “with” all creation.” PR, 343)
 十 今夏のやホ学会にと我が論文粗方論じ尽くせるや佳し
    (備考:The 11th International Whitehead Conference in Portugal, July 2017にて発表のためなり:”The Proto-factum Immnuel by Takizawa, My New Idea of the Proto-incarnation Immanuel, and Whitehead’s Idea of God’s Being “in” the World: Within the Context of Divine Ecozoics toward a Theology of the Great Friend.”)




昨日の「ぶらり散歩」でも、いつものように白梅・紅梅・桜、そしてツグミとスズメたちです。傘をもって、ぶらりぶらり・・・。

昨日もパワーポイントの学習や頂いた宿題の資料探しなどで・・・