延原時行歌集「命輝く」(第2671回)(ウメ・ローバイ、ツグミ・ムクドリ・?)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2671回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    1月15日

          心にや無しの歌十一首

 一 オバマ氏の広島平和スピーチや歴史を画す偉業なりけり
 二 何故に偉業なるかと人問はば被爆者平安哀悼深謝す
 三 この事を日ノ本基教信ずるか復活誤訳我や恥ずるも
   (備考:『ヨハネ』21・15:「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛す以上に、私を愛するか。」(日本聖書協会1954年改訳);「ヨハネの子、この人たち以上にわたしを愛しているか。」(新共同訳)は共に世紀の誤訳なり。「ヨハネの子シモン、あなたはこれらの物(注。ペテロの旧来の生業を示す、網や舟、漁業一般、延いては宇宙の諸多性)よりも《我》[アブラハムの生れ出づるより先に在る基督]を愛するか。」(私訳:拙著『復活の省察・上巻――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』新潟・考古堂書店、2014年10月刊、注6:35-36頁、参照)要するに、宇宙一切よりも究極の《我=基督》を愛するか、との主のお尋ねに応ふるに、イエスを前にしての弟子たちの愛の競争のヒューマニズムを以てするとは、畢竟、宇宙を超えて主基督を「愛する」復活ともいき(注。ホワイトヘッドの言ふ《its Unity of Appearance》即ち「共同復活」をまったく信仰の真実として捉へておらぬ、と言はねばならぬ。この「世紀の誤訳」我心の底より恥ずるなり。これ基督信仰、復活信仰を単なるヒューマニズムでしかない主イエスの前での愛の競争主義に変質させる退廃なり。何故その愚その虚仮不実が見えざるかや)
 四 我やしも妻絶後のや笑み増しに見(まみ)えたるこそ復活信ず
 五 いのちとは切れ目なき事或る日我深く諭さる我妻笑むや
   (備考:復唱)
 六 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば
   (備考:復唱)
 七 日ノ本の基督者汝笑み満面復活歓喜寿ぐの時
 八 日ノ本や誤訳猛省なくばぞや広島平安心にや無し
 九 広島の平安たるやこれ何ぞ復活歓喜なくばそも無し
 十 人生の究極なるは御父にぞ御友運ばるピカドン超えて
 十一 げにもぞや平安ありて平和なるひとえに復活ありてこそなれ




今朝は穏やかな朝です。掃除・洗濯・ゴミ出しを済ませて・・・

昨日の「ぶらり散歩」では、ウメとローバイ、季節外れのヒマワリ・・・

そして昨日は、ムクドリたちも・・・・あいかわらず、ツグミがあちことで・・・・

次の鳥は、小さな鳥ですが?? ジョービタキのメス? 目の前にひょっこりと・・・すぐに飛び去って行きました。

終りに、ねこちゃんも・・・・