延原時行歌集「命輝く」(第2595回)(まだまだ続く「桜見物」)

              
   延原時行歌集「命輝く」(第2595回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「12月1日:今日の歌」を収めます。

    12月1日

          今日の日やの歌十首

 一 一瞬の閃きありて今日の日や大発見の歌我詠めり
   (備考:11月30日の事なり)
 二 このことが如何に幸なる一事かやつくづくと我知り抜きてあり
 三 創作用そも究極事性(さが)成すや無自性なるに大悲事(じ)に寄す
   (備考:これ我が最新の形而上学歌なり。新著『平安ありて平和なる』の結語の核心なり)
 四 創造性誰(た)が知るやこそ創作用そも究極事性(さが)成す極み
   (備考:Creativityの邦訳に「創造性」が適訳なるは、究極事に性(さが)成す場合、極点においてのみなること、詠ひたるなり。一般的には、Creativity (as Creative-activity)は、「創(造)作用」なり。こうも言ふべきか:Creativity (as Creative-activity)は、カテゴリカルには、「創(造)作用」なるも、究極事(ultimate matter of fact)の事態(すがた)としては、メタ-カテゴリカルに、「創造性」と特記すべきなり。これ、我が「Creativityの神秘」の解法なり。Creativity (as Creative-activity)が無自性(without a character of its own)[PR, 31]なるに、究極事の性(さが)成すと言ふ「Creativityの神秘」("Creativity is the universal of universals characterizing ultimate matter of fact.” [PR, 21])を認識することなく、Creativityに、一般的な邦訳「創造性」をあてることは、ホワイトヘッド学的には妥当ならざる措置なり。重々注意すべきなり。即ち、Creativityに関するホワイトヘッド学的認識および用語法(邦訳法)は、一般的なる場合と異なる事を知るべきなり。さもなくば、Creativityはホワイトヘッド有機体の哲学の基本語なる故、ホワイトヘッド学成り立たざるなり)
 五 極みはぞほどけて大悲事(じ)に寄する不一不二なる姿尊し
   (備考:これ仏教では、「法性法身」即「方便法身」の問題なり。ホ氏では、あの「ともあらはれ」“Its Unity of Appearance” [AI, 295]が重要なり)
 六 いのちとは切れ目なき事或る日我深く諭さる我妻笑むや
   (備考:復唱)
 七 汝が笑みや生涯の際溢れてや絶後いや増す御友いませば
   (備考:復唱。大悲事(じ=一々の我ら衆生)に寄す御恩寵を我ら衆生の側から感謝為す姿、我我が妻の切れ目なき笑みに見たるなり。嬉しも。そは、単なる死に非ず。笑み、しかも命の際の感謝の笑みと、切れ目なき絶後の笑み増しとによる、二重の笑み成る故、生死一体を示せる、妙なる、「切れ目なき」笑みなり。その含むもの「絶対の平安」「永久の命」なり。なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい、感謝無尽もでーす)
 八 歌出来ていのち一新げにもぞや細胞活性見るやこそなれ
 九 かくてこそ感謝無尽も平安の溢れにけりや我が身我が時
 十 それでこそ地上の平和築かむとあの人この友文や送らむ
 





2016年もはや12月、年末年始の予定が次々と…まだ、来年の手帖を買い求めていませんが、こんどははじめて「三年手帖」を求めてみようと思っています。何かと便利のようですので・・・・

上の写真は「冬のさくら見物」です。いつもここでカメラを向けていると、道行く人が不思議がって立ち止まり声をかけて下さいます。するとまた、そこで長い立ち話が弾みます・・・いつまでも奇麗で、桜の花は格別です!!

昨夜のBS朝日の「昭和偉人伝:賀川豊彦」の番組はご覧になりましたでしょうか。1時間番組で、さすが行き届いた立派な番組になっていて満足しました。珍しく感想を送っておきました。

本日の写真は、いつものように、ぶらり散歩で出会ったものを、いくつか並べてみます。



終りに、ねこちゃんたちを・・・・。