延原時行歌集「命輝く」(第2528回)(ぶらり散歩―リューキューアサガオと曼珠沙華)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2528回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


    9月23日

            或日妻の歌八首

 一 或日妻「箴言出来た」と言ひにけり英文見事佛智深遠
   (備考:延原信子英文箴言第七条、April 19, 2011の事、新潟県立リウマチセンタ―の頃なり:『復活の省察[上巻]』64頁、参照)
 二 余程のや自信作とや見ゆるほど便座のままや笑みつ語るや
 三 I’m living in the secular world;
   And yet I’m blessed by the sacred world.
   Is this strange? No, not at all.
   It is quite normal in Japan; because Japanese society is
   Very much influenced by the Buddhist wisdom:
   Samsara is Nirvana.
 四 そも我や世俗世界に住するも神聖世界になほ祝さるる
 五 奇異なるか否これ誠日ノ本で全く正常佛智浸潤
 六 佛智とはあくまで輪廻あるままで涅槃や一途不一不二そも
 七 我正に驚きたるや妻気迫手帳出してや皆記述せり
 八 かく書けば我が心底に喜悦満つ永生霊やげに此処に在り





昨日のぶらり散歩では、この夏の猛暑をもろともせず、ずっと元気に花を咲かせる紫色のリューキューアサガオと赤と白の曼珠沙華彼岸花をカメラに収めました。


昨日は一日中、宿題の一つ「部落問題の解決過程を担った人々」の特集で「杉之原寿一」について――思いをめぐらしました。

杉之原先生は戦時下、京大文学部哲学科在学中、学徒動員で兵役、海軍中将で招集解除、戦後卒業してすぐ京都大学人文科学研究所の助手を務め、1951年に神戸大学文理学部の講師に。岩波文庫のテンニエスゲマインシャフトゲゼルシャフト』やルソーの『社会契約論』の翻訳を手掛け、1958年に神戸大学文学部助教授に・・・。

1956年「神戸市番町地区の人口動態より見た部落問題」(『ソシオロジ』第13号、社会学研究会)を皮切りに、部落問題研究を開始され、神戸をホームグラウンドにして部落問題の実証研究・理論研究・行政論・啓発論など総合的に展開してこられた部落問題研究の第一人者です。

私たちも1968年以降、長田区番町での生活を始めていて、先生の労作に注目しながら、1974年からは杉之原先生を所長として立ち上げた民間の独立した研究機関「神戸部落問題研究所」の裏方として、30年余りの長期間、あの激動の日々を、先生に励まされて、ご一緒に歩ませていただきました。

先生が2009年、86歳の御生涯を終えられた時には『人権と部落問題』誌の特別号の追悼文で、「杉之原寿一先生の生涯と業績」を寄稿させていただいて・・・・思い出もいっぱいです。奇しくも、このよき師にであって・・・いまがあります・・・。


本日の写真は以下、またまた昨日のねこちゃんたちとお花のコラボで・・・・