延原時行歌集「命輝く」(第2513回)(今朝も新たに「はなおくら」が二輪咲きました!)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2513回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


    9月8日

            再説本の歌七首

 一 楽天や我が再説本選びてや展示に掲ぐ心嬉しや
   (備考:心嬉しや、言ふは、全身全霊を和める如し。いと健やかなる感じなり)
 二 恩師のや最深思想沈思すや「原決定の原生起」これ
   (備考:滝沢哲学最深の箇所は以下の如くなり:「この一点を堅く心にとどめるとき、私たちはまたおのずから、これまでの阿部(正雄)氏の考え、心の視野にはまったくはいって来なかったもう一つの「不可逆性」を明らかに認めるようになるであろう。すなわち、ある時ある処である人に生起する覚り(正しい自覚)は、たしかに何よりもまず第一に、いなむしろもっぱら一方的に、かの原決定のはたらきによって生起する。それゆえに私たちは、覚はただ絶対無相の自己のはたらきであるというとき、この絶対無的主体の「はたらき」が、原決定の原生起そのものを意味するはたらきと、その原決定の世界内部へ向かってのはたらきと、いわば二段になっていることを見逃してはならない。」滝沢克己『あなたはどこにいるのかーー実人生の基盤と宗教』(東京・三一書房、1983年)、102頁、参照。これ、恩師の著作中のみならず、20世紀の哲学書中、最深の言葉なるをいかほどの御仁これを知るや?)
 三 これ我やCo-Eternity点呼びしやもホ氏Creativity性格付くと
   (備考:それに対応なすや、我によれば、ホワイトヘッド主著『過程と実在』Process and Reality中の以下の一節なり:「創造作用は、窮極的事態を性格づけるもろもろの普遍的なもののうちの普遍的なものである。」(”‘Creativity’ is the universal of universals characterizing ultimate matter of fact.” [PR, 21]=山本誠作訳、上、34頁。ここに驚くべき事あり:ホ氏Creativityは、一切の「性格付け」《character》 を脱す、と言ふ([PR, 31]=山本訳、上、53頁)に、ここ(窮極的事態の処)では、窮極的事態の「性格付け」なりと言ふ。この背理何故ぞ? 我が解法これなり:滝沢の言ふ「原決定の原生起」を性格付くものCreativityなりと。滝沢の「原決定の原生起」を我(神と世界の)Co-Eternity Pointと呼ぶならば、是をcharacterize《性格付く》ものやCreativityなり。これ我が結論なり。宇宙の最奥処「名詞形」ならず、「動態形」すなわち「原決定の原生起」(滝沢)なり、Creative-activity(Whitehead)なり、空自らを空ずる空(大乗仏教)なり。かくて、Ultimate Matter of FactにCreative-activity至誠なり。ここに於いて我が「至誠心の神学」「至誠心の形而上学」へと飛躍なすなり。これ最上の事なり)
 四 一切の「もの」Creativity目がけてや性格付くも一切反転
 五 ホ氏や言ふいや果てにそもCreativity究極事態性格付くと
   (備考:これ我Creativityの「反転」「冒険」と言はん)
 六 ともかくも形而上学神秘をぞホ氏も恩師も追尋果敢
   (備考:それを明らかにせし我が再説本『宇宙時代の良寛・再説――ホワイトヘッド風神学と共に』(新潟・考古堂書店、2014年2月)麗し。我が会心作なり。楽天ブックスの頭本なる誠嬉しや)









神戸も突然突風が吹いたり強い雨が降ってきたり、荒れ模様の朝で。

ベランダの「はなおくら」は、新しく二輪の花が咲きました。上の写真がそれですが、次の「はなおくら」は、昨日あさの三つ目の一輪です。(昨日のブログでは、早朝の咲き始めの写真をUPしました)



昨日は、部落問題研究所の全国誌『人権と部落問題』(2017年2月増刊号)−―特集「部落問題の解決過程を担った人々」−−で、戦後の部落問題解決に貢献された方々の足跡と功績を明らかにする特別企画があり、私の恩師でもある「杉之原寿一先生」(神戸大学名誉教授)を取り上げる予定とか、編集部より執筆依頼をいただきました。11月末が〆切のようで、いまから準備をはじめれば大丈夫でしょう。早速快諾のご返事を送りました。私にとっては嬉しい宿題です。


本日の写真は、まず、昨日朝、11階のベランダから眺める景色と眼下の公園と花壇を収めます。




次は、ぶらり散歩で下の下りて、私たちの花壇とご近所を・・・。

今年の猛暑で樹が枯れて、いま枯れ葉が落ちている一本の樹・・・など。