延原時行歌集「命輝く」(第2502回)(ぶらり散歩―枯れ木から新芽が・・・)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2502回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


    8月28日

          しあわせならの歌五首

 一 フィリピンの友肉親に哀悼を青春初心せし歌麗し
 二 利人師の「しあわせなら手をたたこう」坂本九に器得て咲く
 三 日本軍横暴無尽悲しみしアジアの友に心添ふ歌
 四 歌の元詩編身読深甚も現れたるや身振り歌佳し
   (備考:木村利人先生、バイオエシックスの世界的権威、その初心を25歳の時(1959年)フィリピンにワークキャンプに赴きし時、日本軍の傷跡友人の肉親の死にありと気づかされ、哀悼す。坂本九の有名な歌「しあわせなら手をたたこう」の原作者として、現地の子供たちの手をたたく遊びと旧約聖書詩編47篇1節「もろもろの民よ、手をうち、喜びの声を上げ、神に向かって叫べ」を合わせて思索す.傑作の歌生まる)
 五 ここからやバイオエシックス出でたると利人師や告ぐ生涯深々
   (備考:木村利人先生8月25日付メール御芳書あり:「延原時行先生 折り返しのメールをどうも有難うございました。かねてより、先生のとてもユニークで鋭い問題提起の数々の御著書を読ませていただきましたので、先生に直接お目にかかれた(注。8月17日故竹中正夫同志社大教授十周年記念の集い、於新島会館)のは大変に嬉しく、これも竹中先生のお蔭様であると思っております。
 私自身の今から57年も前の実体験をベースにした番組をご覧頂けるとの事で、御礼申し上げます。
 私がバイオエシックスをはじめるに至ったルーツともいえるのがこのフィリッピン体験でした。
 先生からの「風の便り」を楽しみにお待ちしております。
 主に在って、心からなる感謝をこめて。
 木村利人」
 我がご返事、27日付:「木村利人先生 NHK特別番組しあわせなら手をたたこう(再)坂本九の名曲誕生物語、心からの感動をもって只今拝見致しました。有難うございました。
 日本のフィリッピンへの戦争の傷跡を心から哀悼することの中でフィリッピンの友と共に青春を出発された際の「しあわせなら手をたたこう」の御歌が、ルカオ小学校から始まり、坂本九さんを生かし、かくも深甚なる影響・発展・Involutionを世界中に巻き起こしたこと! これは、詩編47篇の身読にはじまる、摂理であります。
 それがバイオエシックス追究の御生涯の発端であったとの御述懐、尊いものに存じます。
 私はバイオエシックスの根底は、永生であると信じますから、あの時の写真の方々への哀悼こそが、先生にとってバイオエシックスの原点なのでありましょう。
 右、こころよりのお礼方々
 草々不一
 延原時行」)






異常な猛暑で草木が枯れていく写真を続けましたが、昨日のぶらり散歩では「枯れ木から新芽」が目に留まり、上の三枚をパチリ・・・・。

昨日午前中、前の小学校のグランドでは珍しく「軟式テニス」の大会があり、校庭を三面のテニスコートがつくられた熱戦を、ベランダでしばらく眺めて楽しんだ後、小学校の中庭へ・・・

校内の大きなヒマワリや苗づくりなどを撮らせてもらいました。

おもいがけずそこに、ひょっこりと、ヒヨドリが一羽飛んできました。ヒヨドリは渡り鳥だそうですが、戻ってきたのでしょうか・・・。




午後のぶらり散歩で出会ったねこたちも並べます。



私たちの花壇は、9月1日に植え替え作業をしますが、昨日の午前中、スコップをもってもういちど土を掘り起こして、水をたっぷりと注ぐ作業をしました。

終りに、ベランダの花なども少し並べておきます。