延原時行歌集「命輝く」(第2403回)(ぶらり散歩―アジサイやイチゴやイチジクなど)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2403回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

昨日に続いて、先生の「御友神学」の「御友」を讃える「朝の歌」です。


    5月17日

           底飛翔の歌八首

 一 昨日や歌作る成り転寝す誠心地の良き春の日ぞ
 二 その歌を作りおるうちつくづくと御友の位置や不可逆と知る
   (備考:恩師のカテゴリー「不可分不可同不可逆」のその「不可逆」の愛、御友神学の宇宙的位置なりと我悟る。不可分や底(「太初のロゴス」ヨハネ1・1・第一項)の底(「ロゴス神と共なりき」ヨハネ1・1・第二項)なり、仏教では空=無自性のリアリティなり。神人共に「不可分」に存在論的に否応なく原至誠なり。されど、原至誠に態度的自覚的至誠を捧ぐるは神のみにして我ら人無明なり。ここに「不可同」の境位あり。されど、御神御友に於いて宇宙の底の底まで遜り給ひ「友よ、至誠なれ」と招き給へり。マタイ11・28−30=5・48=ヨハネ15・15、熟読参照。ここに「不可逆」愛の現成あり。これ御友神学なり。御友神学と言ふは、御友が御父より神の道を学び給ふ事なり。これ「神学」の原初の意味なり。神学の専門職がなす学問を先立てること、これ無礼なり。御友神学を御友が「友よ」と呼びかけ我らに教導なし給へる、これ「不可逆」の愛なり。汝らの天の父が全き(至誠なる)ごとく汝らも全かれ(至誠なれ)、との御言葉には、御友の神学び「御友神学」が秘められたるを知るべし)
 三 父に聴き「友よ」汝にぞ告ぐる事命の御告げ我告ぐと御友
 四 御友はや十字架上にエリエリと叫びてやこそレマサバクタニ(何ぞ我を見捨て給ひし)
 五 この叫び我らが叫び底の底御友御父に告げしものなり
   (備考:第一の底「実存の底」「太初のロゴス」(ヨハネ1・1・第一項)なり。第二の底。その内奥「ロゴス神と共なりき」(ヨハネ1・1・第二項)なり)
 六 呼応せし御父の返事勇躍や叫びのままや飛翔せよ子よ
 七 かくてぞや歴史の変貌成るぞかしレマサバクタニ底ぞ飛翔す
   (備考:マルコ15・34=マタイ27・46=ヨハネ17・5=へブル5・7、熟読参照)
 八 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)





少しひんやりとした五月晴れの夜明けです。

昨日の午後は風雨の強い荒れ模様でしたが、午前中、雨の降るまえに「ぶらり散歩」に出かけました。

出かける前は、昨日の朝のパソコンの不調−−メールの受信不能と受信欄のお隠れーーが発生して、急遽マイクロソフト社の遠隔操作による親切なサポートがあってーーは早々に回復して、このブログのUPも完了。

気分よろしく「ぶらり散歩」へ・・・・。


本日の写真は、その午前中の「ぶらり散歩」でであった「あじさい」の花たちや「いちご」や「イチジク」などです。日々新たに「うつくしきもの」がいきづいていて、ひとの目を楽しませてくれます。