延原時行歌集「命輝く」(第2401回)(地元の診療所で・・・「うおのめ」の手当)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2401回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

先生は若き日(1968年)より「神戸自立学校」を主宰され、わたしたちも身近に先生のお話を聴き、愉快な対話を楽しんできましたが、先生はいつも、難しいことを解かりやすく語る、秀でた話術にも恵まれておられました。

学生時代から書き刻んでこられた独創的な論文も、常に明晰判明・公明正大で、論評を加えるものには必ず注記などで明示され、ともに学ぶものにはたいへんに有益なものでした。

いまでは、先生の省察はひろく「延原哲学」「延原神学」として知られてまいりましたが、近年の「短歌神学」で展開される日々の歌は、これまた独創的なもので、「備考」つきの連歌となっています。

これらは、「延原講演」のレジュメにもなる「神学的哲学的省察の歌」として、世界に告げる「御友神学」の「新しさ」が、伝わってまいります。

今回の歌も、恩師・滝沢克己との長きにわたる交流・対話をふまえた「今日の歌」です。


    5月15日

           原事実の歌八首

 一 原事実そのままならば不動なり神人一体盤石にして
 二 冒険やここにはあらず一体を神属性と断ずればなり
   (備考:これ恩師のお立場なり)
 三 真実や神人共に一体に至誠なりけり一体深奥
   (備考:これ我が立場成り。「一体」(不可分)深奥のリアリティなり。仏教的空のことなり。神も人も空に至誠なり。そこに宇宙の価値と意味発すなり)
 四 神人や空に至誠にありてこそ一体や成す空無自性
   (備考:ここで言ふ「一体」第二義の「深奥のリアリティ表現の一体」なり)
 五 その点に鋭く注目なさずして原事実をば一丸視不可
 六 原事実在るものならず成るやこそ神人一体空至誠ゆえ
 七 原事実一丸とすや至誠なしそれ自らを原点とすや
 八 原事実内部構造空至誠神人かくて一体現成






五月晴れが続きまます。神戸では、昨日から「神戸まつり」が始まっていて、私たちのまちでも「神輿引き」がおこなわれました。

昨日の朝は、地元の診療所へ出かけて、足裏の魚の目をきれいに削ってもらってきました。時折でかけては皮膚科の専門医の方にお世話になっています。簡単な処置ですが、やはり専門の先生に手当をしていただくのがいちばんですね。

本日の写真は、上の写真が私たちの住宅のものですが、次の写真は、診療所の待合室に飾られていた、患者さんたちの作品で、数枚撮らせてもらいました。

これから6月になれば「あじさいの花」が美しくなりますが、いま新しい芽を吹き出している「あじさい」と共に、その患者さんの作品をUPいたします。



おわりに本日も「神戸・相楽園」の未掲載の写真を数枚収めます。