延原時行歌集「命輝く」(第2387回)(名古屋の「なんじゃもんじゃ」と「カヅラカタ歌劇」)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2387回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
昨日は名古屋へ日帰りの旅に出かけましたので、歌のUPをお休みにさせていただきました。そこで本日は先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」は昨日の「ともいきの歌」と本日の「おわりにあらずの歌」とあわせて収めます。


    4月30日

           ともいきの歌十首

 一 本作る父さんやって言ひし妻「風の歌」本贈る手に在り
 二 拙論を掲載したるACADEMIA妻と友とを詠ひてや在り
   (備考:『ACADEMIA』No. 156.2016.4に拙稿「平和基礎学としてのホワイトヘッド平安哲学ーー神のエコゾイックスとホワイトヘッドの冒険ないし復活形而上学にちなんで」を寄稿せり。花岡永子名誉教授(大阪府立大学奈良学園大学)の先導による企画、一般社団法人全国日本学士会専務理事・事務局長岡田和男氏の御招きにより、荒牧典俊名誉教授(京都大学)、尾崎誠名誉教授(山陽学園大学)、田中裕教授(上智大学)と共に「A.N.ホワイトヘッドの平和論」の主題に関して共同執筆す。我妻信子、親友木原和彦兄の絶後の笑み増しの歌幾首も拙稿のうちに献じたり、嬉しも)
 三 ホ氏の言ふ平安哲学神接す激励受けてなすや平和ぞ
 四 何がぞや嬉しと言ふもともいきの歌詠める文作るほどなし
 五 なぜならば文かくてぞや五旬節祝ひし宴正にそれなり
   (備考:天父御許に御友共運ばるる幸ありてこそ、「我が羊飼へ」との御声受け、甦らされたる人々御友と共に此処に我と「ともいき」なせるなり。これ我の「五旬節」なり、Pentecostal Presenceなり。「ともいき」の学を我「平和基礎学としてのホワイトヘッド平安哲学」と言ふなり。この学、地球の危機(環境破壊と核時代)に面して理念理想なる平和を必死になりて追求せる困難から緩められたり。平安(復活)なくば、平和(ともいき)の現実過程なし)
 六 かく思ひ今この歌を書くや我心底より歓びや出ず
 七 この時代様々の憂き事あるにともいきなくば何が縁ぞ
 八 ともいきの深みこそぞや誰らう命岸辺に立つ御友ほか
 九 この時代地球危機をぞ知りつつも復活承けずば危機のまた危機
 十 我妻や絶後笑み増す不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)


    5月1日

          終りにあらずの歌十二首

 一 良寛が「散る」と言ひしや大変貌終りにあらず始めなりけり
 二 我らもや我が妻絶後笑み増すや終りにあらず始めとぞ知る
 三 直ちにぞ「復活省察」完成すかくて著作の勢や出ず
  (備考:拙著『復活の省察・前巻――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』(新潟・考古堂書店、2014年10月)は我に取りて画期的著作なり。これ、我妻絶後笑み増しありて出でし一書なり。この書ありて、此度の拙著『良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』(新潟・考古堂書店、2016年)の心意気枠を得たるなり。而して最新著、風神学の著『宇宙時代の良寛・再説――ホワイトヘッド風神学と共に』(新潟・考古堂書店、2014年4月)の急上昇を招きたり。面白き現象なり)
 四 我妻や絶後笑み増し不思議やも本作る日々始まりにけり
 五 誠にや妻も言ひしや「本作る父さんやって」これ五旬節
   (備考:使徒言行録2・1−4:「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」。熟読参照)
 六 恰もや主の復活の喜びや瞬時措かずや霊下る如
 七 人よ知れ父より聞きて友に告ぐ御友語りや激動の時
   (備考:御友語りや激動の時持つとは、宇宙的歴史の意義なり)
 八 御友はぞ今や昇天ありてぞや霊下ります宇宙時やそも
 九 「父よりぞ聴きたる事や告ぐる」こそ御友道なり甦りてぞ
 十 誠にやこれPentecostal Visionのや受肉にまさる御友姿よ
   (備考:御友姿二段階あり:一は受肉、二はPentecostal Visionなり。「父より聴きし事皆、友よ、汝らに告ぐ」。ヨハネ15・15、さらに使徒言行録二章なり)
 十一 さらにぞや我妻絶後笑み増せる後に続くや本作る時
 十二 これまさに平安在りて平和次ぐホ氏の語れる哲学の如
   (備考:See what Whitehead writes at the end of Adventures of Ideas: “The immediate experience of this Final Fact, with its union of Youth and Tragedy, is the sense of Peace. In this way the World receives its persuasion towards such perfections as are possible for its diverse individual occasions.” [AI, 296] 拙稿「平和基礎学としてのホワイトヘッド平安哲学」『ACADEMIA』No. 156 2016.4、11−21頁、参照)
 





本日も「五月晴れ」、5月のスタートです。

上の写真は、昨日の名古屋国際会議場から、名古屋学院大学の礼拝堂を経て、「白鳥庭園」までの、知る人ぞ知る「名古屋のなんじゃもんじゃ街道」です。

ここから「白鳥橋」をわたり「熱田神宮」を経て、今も人気の「あった<蓬莱軒>」(待ち時間が三時間のため惜しくもここはパス)、金山駅そばの「芋蔵GIRI」でお食事・・・



このたびの名古屋への日帰りの旅のもう一つのお目当ては、いま話題の「東海高校カヅラカタ歌劇団」(2003年第一期「ベルサイユのばら:オスカル編」)第14期:春のレビューショーの観劇にありました。

最寄りの「車通駅」にも見事な「なんじゃもんじゃ」の樹があり、名門の東海高校の講堂も重要文化財に指定されているだけあって風格のある建築物、今回の「海組公演」Shining Rhythm もお見事!! 超満員のファンを魅了させました。