延原時行歌集「命輝く」(第2379回)(ぶらり散歩―昨日の私たちの花壇など)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2379回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
   4月9日
           文や嬉しやの歌二首

 一 先達の文や嬉しや我が新著日本神学いささか進むと
 二 仏教と対話神学求めつも御友神学ありて一新
   (備考:小野寺功先生ご書簡あり、4月5日付:「桜が一斉に開花し、春爛漫の美しい季節になりました。御変わりもなく、精力的に執筆活動に集中しておられることと存じます。先日は『良寛「風の歌」にちなんで―御友神学の省察」の最新作と英文の御論文をご恵送いただき、誠に有難うございました。ライフワークである「仏教的キリスト教神学」の追求が今回、「御友神学」として具体化されましたことは、画期的な出来事と、心からお喜び申し上げます。これまでの「至誠心の神学」の三原理に、ヨハネの御友の省察を加えることによって、私の聖霊神学とも一層深く呼応するものが感得され、一気に読了いたしました。
 従来のキリスト教は、ここまで具体化され深められて、はじめて日本人の心の大地に着地するのではないでしょうか。これまでの宣教姿勢や神学は、いかにすぐれたものであるにしても、水面に触れない水車のようなもので、空転するばかりでした。「御友神学の発見」は、この空転を克服し、キリスト教の絶対的核心へと導くものです。少なくとも、私が生涯をかけて築いてきた「三位一体の場の神学」と基本的に一致するところがあり、大変勇気づけられました。
 西田哲学に最も深い理解をもつ鈴木亨先生は、「聖霊神学は、「三位一体のおいてある場所」においてのみ真に築かれうるものと思います。」と評価して下さいましたが、これを具体化する視点が不十分で、展開に不十分なものがありました、この点、「二究極者」の発想と「御友神学」は、私に多くの手がかりを与えてくださいました。
 平和憲法を高く評価しつつ、「しかし、日本の教養の基礎が欠けている」という御指摘は、全く正しいものと思います。憲法以上の「法源」を問題にする人はおりませんが、日本には新たな世界観の確立が不可欠であると私も考えております。
 八木先生の「回心 イエスが見つけた泉へ」もすぐれた一つの到達点を示すものですが、「御友神学の省察」も、日本の神学の先端を行く業績と考えます。私の孤立無援の思索も大いに励まされています。
 また国際的な御論文も沢山読ませていただき感謝です。J.ブラッケン神父など、よくこなして論評されていますね。
 私は京都学派の歴史哲学をさらに発展させる形で、歴史神学を構築したいと考えています。今後とも、忌憚のない御教示をお願い致します。
  四月五日 とりあえず、御礼まで、
延原時行様  小野寺 功」

       ♯             ♯

新調されたパソコンから、先生のメルマガ「風の便り」が届き始めたようです。最新の論稿の校正作業も着々と進んでいます。





昨日は被災地も風雨に痛められましたが、神戸も雨模様の一日でした。

上の写真は、昨日の私たちの花壇です。雨に打たれながら、新しい一日を迎えていました。

昨夜は、地元の親しい友だちが落ち合って、むかし最初に住み着いた住宅(「中根荘」という六畳一間の<番町出合いの家>)のご近所にある、美味しいお食事処(「あづまや」さん)で、一献を傾け、打ち解けた語らいを楽しみました。

で、その「あづまや」さんで、むかし御友誼をいただいていたとお方と出会い。言葉を交わしたものの、私の方のお名前がすぐに出てこず、トンチンカンなことで・・・。帰り際に、やっとお名前など思い出して・・・・。

下の写真は、お隣の小学校の桜やつつじなど・・・



このところ、ツバメもよく飛び交います。花たちとともに並べます。



最後に、一昨日の「須磨離宮公園」の園内を数枚だけ。「梅園」に咲く「花桃」とともに。