延原時行歌集「命輝く」(第2325回)(ぶらり散歩―若き日の生活拠点)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2325回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(242−2)21世紀の歌、いよいよやの歌、御父やの歌。妻や歴々の歌。二校了の歌、なにゆえかの歌、この時代の歌、驚きぬの歌、核時代さらばの歌、声や響けりの歌(2016年2月1日〜10日)

    2月2日
          いよいよやの歌十余首

   (一)はしがき
 一 いよいよや我絶頂期入らんか邦文六著英文著四
 二 恐らくや我が熟年期刈り入れ期どの著もほぼや成るを磨かむ

       ♯              ♯

今朝も上の歌(2月2日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届けていただいた「今日の歌」を収めます。

    2月28日
          これにてやの歌三首

 一 学会の査読のつとめ果たしけり懸命論考磨く勧めり
 二 嬉しやと言ふべきやこそホ氏読みて互いに練磨なすや友垣
 三 これにてや二月の仕事相成りぬ如何に心の清々しきや

           今一冊やの歌七首

 一 英文著今一冊や出でんとすクラクフ学会名残やこそこれ
   (備考:Lukaz Lamza and Jakub Dzialkowiec, Human Life in Process: Recent Advances in the Creation of a Process-Based Worldview (London: Cambridge Scholars Publishing, forthcoming): 拙論:"From Divine Solidarity to Ecological Theology"なり)
 二 13年クラクフにてやホ学会なにゆえ我に公益賞や
   (備考:第九回国際ホワイトヘッド学会、ポーランドクラクフ、Pontifical University/Polish Academy of Sciences and Artにて開催されし時(2013年9月9−12日)、Prof. Lewis Ford, Prof.David Griffin両碩学と共にThe Common Good Awardなる国際ホワイトヘッド学会(IPN=International Process Network)の最高賞我受賞す)
 三 受賞前友のスマホで妻の声浪々たるやよかったなあと
   (備考:田中裕教授のタブレットのお陰にて信子を看る義妹順子さんの携帯につながれり。待ち構えていたかの如く我妻の声そこにありたり:「父さんのためによかったなあ」)
 四 我の知る我とは別の我在りやいかにも友の知る我不思議
   Is there other I
Whom I do not know at all
But you know, friends?
That’s simply the matter of
Incomprehensibility
   (備考:受賞壇上にて詠みてやんやの喝采を受けし一首と英訳なり)
 五 友たちや不思議にあらず何故に言ふしみじみと情我や知りたり
 六 この秋やしみじみと享く御心の降り注ぎたる我が身わが時
 七 我や知る我妻人生際の幸絶後笑み増しここに胚胎

            愛づの歌四首

 一 今朝もまた熱誠の友UPせる我が歌ととも神戸フォト愛づ
 二 地は震へ都(くに)崩るれど基ありそこに咲く花まちや麗し   
 三 恐ろしき彼の日の町や御友あり花壇花咲くこの町ぞげに
 四 死線をば越えて賀川や献身すこの町ぶらり行く友ぞ愛づ





昨日は暖かな日和でした。

いつものように、市場への買い物を兼ねたぶらり散歩で、少し遠回りして、若き日(1968年3月末)はじめてこの街の住人となった、その場所あたりまで足を運びました。

上の写真のように、私たちのまちはいま、すっかり高層住宅が林立する、新しいまちになっています。


このところずっと、1970年代初頭の「生活ノート」がみつかり、取り出してそれをじっくりと読み進めています。

危険家屋が密集していたど真ん中にあって、まずは住宅環境の整備に取り掛かろうとするときでしたので、その渦中で自治会づくりにかかわったりして、頑張っている生々しいメモには、あの頃のまちの熱気が蘇ってまいります。

「番町出合いの家」のあった我が家も、不良住宅の改善地域に組み込まれていきましたので、私たちも長期にわたって仮設住宅の生活が続きました。

当時ひとたび建設された市営住宅の多くが、21年前のあの大地震で住めなくなり、再び再建されるなどして、現在は、一層新しいまちに変貌しています。



我が家のあった「中根荘」の場所は、いま上の写真のように、神戸市営の保育所になっています。

昨日の土曜日も子供たちの元気な声が、ご近所に響いていました。


「中根荘」のあった場所までが住宅地区改良法に基づく「地区指定」となったために、高層住宅に入居しましたが、すぐ東隣は、かつての古い町並みのまま残されています。お世話になったお宅もそのままで「たこ焼き屋さん」なども・・・。




ちょっと見上げると、大変珍しいことに電線にメジロがとまって、美しい声で鳴いていたり、足元には「忘れな草」も咲いていたり、猫ちゃんが日向ぼっこをしていたり・・・。



おわりに、立派な二本のクスノキを、西市民病院をbakkuバックにして・・・。