延原時行歌集「命輝く」(第2322回)(昨日の花壇)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2322回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(241−⒑)
切れ目なき笑み見事なりの歌、核無知極みされどの歌、変調やありの歌、一切真理の歌、ある日の歌、原爆撥無の歌、御友祈りの歌、ノーちゃんやの歌、復活本御友わざの歌、英文稿嬉しやの歌、校正楽しの歌、暖切らさずやの歌(2016年1月21日)。

    1月30日
          校正楽しやの歌七首

 一 朝毎に心に歌を恵まるる嬉し楽しの我が命かな
 二 夢に見し大地や動く不思議かな人の為す事微々たるやこそ
 三 原事実内に原生起含まずや第二義にはぞ至ることなし
   (備考:恩師『仏教とキリスト教』(1964年)にて画期的なる立論「神人の第一義の接触」(インマヌエルの原事実)と「第二義の接触」(覚ないし信)の区別を提起さる。思ふに、原事実は、事実であるならば、いまだ生起にはあらず。生起ではなきものが、覚ないし信などの生起生むことなし。覚や信などの精神の生起出ずるは、神人の第一義の接触なるもの神人の空(原生起)を媒介なせる接触なる故なり、とは我が年来の主張なり。滝沢の「不可分不可同不可逆」論の最初の原理「不可分」は、恩師の言はるるように、他の二原理「不可同」「不可逆」とともに同一の存在論的次元に「一息に」在る、とは実情にあらず。不可分は、真に不可分ならば、神の属性にあらず、それ自体がユニークなる実在、すなわち空なり、しかして空は空自らを空ずる「原生起」なり。この事、神は悟り給ふも、我ら人は知らず、ゆえに「不可同」なり、これ我らの無明の故なり。されど、御神かかる我らに「至誠なれ」と声をかけ給ふ。これ「不可逆的恩寵」なり。故に、不可分→不可同→不可逆なり。原事実が原生起を含むゆえに、第二義の接触への展開あるなり)
 四 原事実覚ることこそ第二義と恩師言はるもそれ図式なり
 五 大地がや自ら動くことなくば悟りあるなしそも絶へてなし
 六 かくやとぞ思ひつ新著校正すげにげに楽し校正楽し
   (備考:新著『良寛の「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』ただいま二校なり。楽しや)
 七 楽しとや言ふべきことやもう一つ英文稿やカナダに飛び火
   (備考:此度の拙稿”Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics," Open Theology もろともカナダ宗教学会のHPに掲載されし。ありがたし)

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今朝も上の歌(1月30日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。ご夫妻と共に「御友門下!!」嬉しい歌、深謝。

    2月25日
          めでたしの歌三首

 一 熱誠の友や生誕祝ひてや七十六回実にもめでたし
 二 我はしも来る七月二三日七十九と相成らむとす
 三 数ふれば二年七箇月先行くや慶陽さんと御友門下よ
   (備考:同志社の二年後輩鳥飼師いかにお世話に相成りしかや)

         復活の家道場の歌十二首

 一 営々と書き綴りてや半世紀日英十著いよよ〆せむ
   (備考:〆に十数年かな二十数年かな、急ぎはせぬよ)
 二 この頃は妻と建てたる我が家を復活の家道場名づく
 三 朝毎に歌瞑想をしたる後本綴りゆく一歩や一歩
 四 何しろや日英著はや十とありさてもさてもやぽつりぽつりと
 五 我はしも日にち仕事の楽しくてもう半世紀かくのごとしぞ
 六 これはしも日米欧にありし時教会大学何処もぽつり
 七 昨日は玉葱豆腐味噌汁どん作りて食す簡易贅沢
 八 何しろや復活の家道場に一歩一歩とぽつり成すだけ
 九 午後にはや愛車漕ぎてやスーパーを巡りて何か旨いものとぞ
 十 何にせよ飽きもせずにやこのぽつり堪へられむや実に実に実にも
 十一 ぽつりとは言ふもののぞや当たればや地球の裏に友や快哉
 十二 また雪ぞ昨夜つくりし鰤大根どれ昼餉にぞ頂かむかな

         「本作る」とやの歌五首

 一 一日にぽつり進むや我が著作飽きもせずにや半世紀行く
 二 阿賀北や今日も降りゆく雪の中絶後笑み増す妻とゆく我
 三 切れ目なき笑み湛へゆき我妻や雪の越後に「本作る」とや
 四 これ誠御友の摂理言ふや我何故や地球の友垣のなか
 五 友よりぞConviviality本出ずるとや聴きて嬉しや春のおとずれ
   (備考:2012年母校Claremont School of Theologyにて開催せし国際学会より生まれし一冊この三月中旬に上梓とか。Roland Faber and Santiago Slabodsky, ed., Living Traditions and Universal Conviviality: Prospects and Challenges for Peace in Multireligious Communities (Lexington: Rowman & Littlefield, 2016)拙論:"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity: In Dialogue with Thomas Berry and Sallie McFague"なり)


日差しはもう春ですね。空を仰いでみたくなりました。

小児結核が完治して、ゴム工場の労働者となり、40台で患った難病も、あの大地震でそれも逃げて行ったあと、わたしの病院通いは無縁になっています。

唯一いま歯のメンテナンスには真面目に出かけています。昨日はその予約の日でした。信頼の出来る名医さんで、歩いてすぐのところにあって、長い長いお付き合いです。


本日の写真は、昨日の花壇です。春の日差しに輝いて、道行く人のお声もかかって、花談義・・・・・。花壇のほぼすべてを撮りました。





終りに、隣の公園で、ぼんやりとハトたちと・・・、そしてスズメ君たちと・・・・。