延原時行歌集「命輝く」(第2387回)(モニュメント「希望」)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(238−4):御友風聖別の歌、文や認むの歌、御友神学一陣の風の歌、今日の日はの歌、降誕節の歌、続・文や認むの歌、御友よの歌、拙英文稿の歌、夢に見しの歌、不思議の歌、御友風の歌、今将にの歌、「それ」の歌(2015年12月21日〜31日)。
12月24日
今日の日はの歌四首
一 今日の日は賀状印刷頼む途次魚六寿司をふと求めたり
(備考:今日の日23日記す。我妻元気なりし時、隔週コモタウンのウオロクスーパーにて特上の江戸前寿司求めたり。デイサービスはあとふるあたごから信子帰宅せる途端、我言へり「ノーちゃん、コモタウンの魚六のお寿司あるでえ」「ああうれし!」)
二 懐かしき日々なりしぞや妻と我飛翔の日までむつみ修行す
(備考:修行英文箴言の作成復唱ともになすことなりき)
三 ウオロクの食堂にてや歌作る切れ目なき笑み捧ぐ汝とや
(備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん、おおきにね。嬉しい嬉しい)
四 我妻の歓び溢れ我もまた共に歓びげに歌や佳し
(備考:24日朝記す)
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今朝も上の歌(12月24日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。
1月21日
切れ目なき笑み見事なりの歌
(一) 切れ目なき笑みに見事なること見ゆ
一 我妻や切れ目なき笑み見事なり御友示してげにあまりあり
二 我妻の切れ目なき笑み落胆の人方誠鼓舞するや佳し
(二)いのちの信頼に至ること見事なり見ゆーーアンセルムス
三 今生の深きいのちの信頼に到り得ぬ友あまりに多き
四 問題やアンセルムスの神照明神信ぜずも成ると通ずや
(備考:極め付きのアンセルムス『プロスロギオン』第四章、原文これなり:”Gratias tibi, bone Domine, gratias tibi, quia quod prius credidi te donante, iam sic intelligo te illminante, ut si te esse nolim credere, non passim non intelligere.” (I 104, 5ff); 英訳文之也: "I thank thee, good Lord, I thank thee, that what I at first believed because of thy gift, I now know because of thine Illumining in such a waya that even if I did not want to blieve thine Existence, yet I could not but know it.” 邦訳示さん:「我汝に感謝す、善き主よ、我汝に感謝す、我はじめ、汝が賜物のゆえに、信ぜしが、今ぞや我知るや、汝が照明のゆえに、たとえ我汝が存在を信じたくなくあらうとも、なほ我それを知らざるを得ざるなりと。」 See Karl Barth, Anselm: Fides Quaerens Intellectum: Anselm’s Proof of the Existence of God in the Context of his Theological Scheme (London: SCM Press Ltd., 1960, p. 170)
(三)ポスト核体制見事なること見ゆーー我が見地
五 御神の核超ゆる事信ぜざる世界首脳も事認識す
(四)御友照明御業見事なりーー天地の交互関係:御友
六 見事なり三段階の御友のや切れ目なきぞや照明御業
本日は「大寒」です。神戸も寒くなりました。
21年前の大地震の時、交通が途絶えてしまい、船に乗って大阪へ・・そこでもとめたダウンが今も残っていて、今回それを取り出して、市場とぶらり散歩をしました。
ところが、ダウンポケットに入れていたカメラが、その途中にどこかで落としてしまったようで、愛用のカメラが行方不明になってしまいました。
どこをさがしても見つかりません。やむなく最寄りの交番に届けておきましたが、どこへいってしまったのか・・・サテ・ハテ・・やはりちょこっとボケがすすんでいるようで・・・。
今日の写真は、古いカメラで昨日撮ったものですが、それを新調したパソコンに収めるのにまた難渋・・・。
写真は、近くの公園で、10数年前に小学生たちが書き残した「希望」をテーマにしたモニュメントがあります。昨日はそれを撮っていました。
終わりに、ねこを一枚。