延原時行歌集「命輝く」(第2385回)(大きな虹)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2385回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(238−2)
:御友風聖別の歌、文や認むの歌、御友神学一陣の風の歌、今日の日はの歌、降誕節の歌、続・文や認むの歌、御友よの歌、拙英文稿の歌、夢に見しの歌、不思議の歌、御友風の歌、今将にの歌、「それ」の歌(2015年12月21日〜31日)。

    12月22日
         文や認(したた)むの歌二首

 一 先達のご高著上梓祝ひてや文や認むげにも嬉しや
   (備考:小野寺功先生宛、2015年10月26日付我が書簡に書けり:「9月13日付御芳書、御恵贈の御高『随想 西田哲学から聖霊神学へ』誠に有難う存じました。心より厚くお礼申し上げます。
 有難い御言葉を『風の便り』9月中旬号に賜り誠に恐縮に存じました。有難う存じました。
 御高著はゆっくりじっくり拝読いたしました。何と言っても年月をかけて日本の哲学ーーことに西田哲学ーーを日本神学創出に向けて腰を据えてお書きになったもの、満喫いたしました。幾多の著者の思索を読み抜いて綴ってこれれましたもの、さながら日本現代哲学史の通覧でありつつ、それらに先生独自の「聖霊神学」創出の御探求が主体的にあわさり、とても興味尽きざる読後感であります。
 私は日本国の憲法は、日本国の哲学思索が物語として成立していない所では、書かれ得ない、ーーことに前文は書く土壌・背景がそもそも欠如している、と、永く確信して来たものでありますが、御高著こそそれに相応しいと感嘆いたしました。ーーその焦点が「聖霊神学」の形成であります。
 三位一体の於いて在る場所ーーそれが西田の「絶対無の場所」であると言う御考究は、私は私独自のエコロジー的関心から申しまして、世界的に独一無比に存じます(英文稿、”Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics" presented at Claremont, June 4-7, 2015; soon to appear at Open Theology online)。それと申しますのも、人々は「世のエコロジー」を論じ、新しい文明は"an Ecological Civilization"であると賛同しつつも、それが何であるかと言うと、「世のエコロジー」が成り立つための不可欠の前提・根拠である「神のエコゾイックス」については何も考えていないのですから。それは後者成立の不可欠の場ーー即ち西田の、絶対無の場所ーーを露知らぬからであります。
 さて、先生は我が恩師は、絶えず原点指示を成すものの、自覚の成ることのプロセスが無い、ーーと批判明示されました(292−293頁)。
 これは何故なのか?
 恩師は、純粋新人額は、インマヌエルの原事実に向かうが、史的に具体的なイエスの姿には「縛られない」、それを内容としてはそもそも含まぬ、ーーと生涯の最後に明言されました(『純粋新人学序説』272頁)。
 此処に判明いたしました。恩師にとって重要なのは、認識上原点であるが、原点とイエスの関係については、明確な考察なしと。これではそもそもキリスト教信仰の真理性が明らかにされ得ません。私は断然、その関係は認識以前、菅家氏存在的に「御友である」(ヨハネ15・15)と明言いたします。この明言が英文稿の中軸でもあります。
 そもそも「イエスはキリストである」という告白は、「イエスは御友なり」としてイエス御自身が明言されました。
 御友は、宇宙の繋辞そのもの、ホワイトヘッドに言わせれば、《Reciprocal Relation》 (PR, 351)にてまします御方です。原点だけではキリスト教は成り立ちません。原点だけではそれを認識する者の独壇場と成ります(滝沢の様に「イエスに縛られない」ならば尚更です)。否も応もなく「御友」がいます事程確実な事は有りません。これが「滅して不滅」(We perish and are immortal.[PR, 351, 82])とホワイトヘッドが言う所以であります。
 宇宙の一般観は成立した途端に御友によって修正厳密化される、と私は最近ヨハネ15・15とマタイ5・48によって知らされました。両論が無くてはなりませんが。
 御高著に深謝しつつ、最近の愚作ーー「風の便り」十月中・下旬号、英文稿ーー同封させていただきました。   御礼方々 早々不一
 2015・10・26   延原時行拝
 小野寺 功先生」
 二 三一の「於いて在る」場所絶対無これ我言ふや「空神至誠」
   (備考:小野寺功先生、2015年10月31日付御書簡:「十 主の平安  先日はお便り並びに「風の便り」、英文の長大な御論文を御恵送下さり、有難うございました。拙著に対する深い御理解と論評は肌身に沁みました。
 私の哲学的神学の根幹である「三位一体のおいてある場所」の意味を的確に受けとめて下さり、これが何より有難いことでした。
 「於てある」が「至誠にいます」であることの御指摘は、その通りであると思います。
 私の「三位一体の場の神学」と聖霊神学に「至誠心」の神学が導入されることによって、さらに日本の神学として具体化されるように思います。そしてさらに「対話論神学の地平」が開かれていくものと確信致します。
 「基教二つの道の歌十首」にある「我見るに基教二つの道やあり原爆教と「神Ecozoics」なり」という歌に啓発され、かねてから気になっていた武田恒泰氏の「アメリカの戦争責任・戦後最大のタブーに挑む」を買い求め、読了しました。
 そして深く共感するところがありました。
 私は大学院生の頃H・デュモリン師について、「聖アウグスチヌスの神国論」の研究をしたので、歴史哲学や国家悪の問題に深い関心があります。
 そして私が中三の頃、学徒動員で川崎に来ていて、はげしい爆撃を受け、それが民間人を焼きつくす無差別のものであることを経験しました。その結論が原爆投下です。
 戦後七十年日本は審かれ、謝罪してきましたが、今後は公平な「神の国」の歴史解釈が不可欠です。そのためのアルキメデスの支点の追求が「西田哲学から聖霊神学へ」の道の追求でした。次が「京都学派の歴史哲学」で、その問題に迫ろうと思います。
 「御神や空に至誠にましてこそ至誠なれとぞ御友告ぐるや」
この意味が本当によくわかります。
また(三位一体の神の)「原至誠」は(自覚的至誠であり、さらに)自覚の促しであり、聖霊神学に三面がるとの御指摘も実に啓発されます。
 今、田辺の歴史哲学と取りくんでいますが、田辺は聖霊神学を志向していることがよくわかって、西田・田辺・鈴木亨と展開する方向性を開拓しようと思います。田辺の死・復活の思想には日本の神学としての聖霊神学に資する点があるように思います。
 英文の論稿は、時間をかけて読むつもりです。
                 とりあえず、お礼まで。
 十月三十一日       小野寺 功
 延原時行様」

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今朝も上の歌(12月22日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    1月19日
          本作りの歌一首

 一 本作り考古堂さまご来駕や初校編集熱気嬉しも


このたびの先生の新著に収められる「プロフィール」をご参考までに。


延原 時行(のぶはら ときゆき)

1937年、兵庫県に生まれる。
同志社大学大学院神学研究科修士課程修了、クレアモント神学院(D. Min.)、クレアモント大学院大学(Ph. D.)。ルーヴァン大学、テキサス基督教大学、クレアモント神学院、大学院大学カリフォルニア州立大学サンバーナディーナ校にて客員教授を務める。
アメリカ宗教学会(AAR)常設共同研究部会「プロセス思想と西田学派仏教哲学」座長。
1991年より敬和学園大学教授・宗教部長・国際文化学科長。現在名誉教授。「東西プロセス研究企画」主宰。日本基督教団教師。オックスフォード大学講演者。Common Good Award受賞(2013年)
著訳書:『仏教的キリスト教の真理』、『無者のための福音』、『ホワイトヘッドと西田哲学の〈あいだ〉――仏教的キリスト教哲学の構想』、『地球時代の良寛』、『地球時代の政治神学』、『対話論神学の地平――私の巡礼のなかから』、『あなたにいちばん近い御方は誰ですか――妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』、カブ/グリフィン『プロセス神学の展望――概論的解説』、カブ『対話を超えて――キリスト教と仏教の相互変革の展望』、カブ『生きる権利 死ぬ権利』『宇宙時代の良寛――エコ神学者トマス・ベリーと共に』、『宇宙時代の良寛再説――ホワイトヘッド風神学と共に』ほか多数。延原時行著作集ブログ公開『受肉の神学――救済論と形成論』ほか18巻:http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+torigai; 『延原時行歌集「命輝く」』:http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+tokiyuki/ “Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics,” Open Theology 2015; 1: 494-511: http://www.degruyter.com/view/j/opth.2014.1.issue-1/issue-files/opth.2014.1.issue-1.xml






来週は愈々大寒、今日も各地で雪の便り・・・・しかし、神戸にはまだ雪景色とはなりません。

上の写真は、昨日午後の市場にゆく途中、ぶらり散歩で見た虹で、久しぶりに大きな美しい虹です。

晴れてきたのかなと思うと、急に雨が降ってきたり、不安定な日和でしたが、空を見上げてみると、東の方に、なんと立派な虹が浮かび出て、しばらくして消えていきました。


昨日から年賀のお年玉の交換が始まりました。早速いきつけの郵便局で、切手シート6枚をいただいてきました。窓口の方から「6枚も当たるのは珍しいですよ」といってほめてもらってニコニコしながら・・・・。


以下、昨日の花壇やスズメやねこや・・・・。