延原時行歌集「命輝く」(第2361回)(兵庫運河・サッカー場など)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2361回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(235−8)秋の日や佳しの歌、日ノ本やの歌、歓喜驚きのうた、秋の朝佳しの歌、我が推敲の歌、さてもさての歌、歓喜妻汝の歌、今日の日やの歌、御友道の歌、愛語響くの歌、本作り燃ゆの歌(2015年11月21日〜30日)。

    11月28日
          今日の日やの歌五首

 一 今日の日や講演草稿推敲に心傾け過ごしたるこそ
   (備考:拙稿「良寛の『愛語』とボンヘッファーの『倫理』をめぐって」なり。最終稿や添付せん)
 二 此度はやOpen Theologyより単行本造るは如何誘ひありたり
 三 実はぞやAnselm's Argument and Buddhist Wisdomなる一書永年綴りきし有り
 四 また少し暖めゆくかそれともや今出すかはや決心どころ
 五 このところ物事窮めつきつめて反省深めゆくやこそ快

           御友道の歌五首

 一 どれだけの事をこの我成し得るや一日一歩御旨まにまに
 二 達し得し天に謝しつつ達し得る道をぞ今日も求め歩まむ
 三 人生は御友在りてぞ笑みやあり絶後笑み増し妻や教へし
 四 友方と道を学ぶや嬉しきや今日も学びし述べつ学ばむ
   (備考:今日はしばた良寛講座の日なり)
 五 この道や御友道なり友方と学び往く道御友と友と

       ♯              ♯

今朝も上の歌(11月28日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

   12月26日
          続・文や認むの歌二首

 一 イエスにや縛られず言ふ恩師のやアポリア解けぬげに御友見ゆ
   (備考:小野寺功先生御書簡への返書12月13日付:「拝復 10月31日付御芳書誠に有難う存じました、心より厚くお礼申し上げます。さらに御高著を拝読し、遂にそれに学びながら新しい一書を綴り居りました:『良寛『風の歌」にちなんで――御友神学の省察』と題します。懇意の新潟・考古堂書店においてもう出版に向けて動いていただいて居ります。
 此処に、目次、はしがき、第一章:風の歌にちなんでーー御友神学の省察、第二章:良寛の「愛語」とボンヘッファーの「倫理」をめぐって、第五章:至誠心の神学から御友神学へ、を感謝と共に同封させていただきました。
 御高著の表題にございます「西田哲学から聖霊神学へ」というモチーフは、どうも私の場合、「空(エコ)への神の原至誠→自覚的至誠」(A)から「汝らも至誠なれとの神による招喚・命法(ゾエ―)」(B)への繋がりと同一の事態である様に感じられて仕方がありません。
 第二章第一節(十)命の絆論に書いている通りであります。
 第五章において恩師滝沢先生のインマヌエルの原事実論(不可分・不可同・不可逆説)の再検討を書かせていただきました。こうした結果、私の神学ーー仏教(今度の場合は良寛禅詩歌学)との対話神学ーーは、上からの目線の教義学とは著しく性格を異にして御友(みとも)神学と相成りました。
 それが奇妙に良寛の「風の歌」と相性がよろしい。そして、良寛の(道元から学んだ)「愛語」を人倫の元にすえる、後近代国民国家政治学の構想「自由、民権、愛語」にまで延びて参りました。お笑い下さい。
         国の宝の歌三首
    一 自由とや民権のみか愛語こそありてこそなり国の宝よ
   二 愛語はや慈心愛心ありてこそ出ずるものなり仏道極み
   三 モスレムも家族なるやと呼びかけしオバマ氏や善しこれ愛語なり
 益々寒き年の瀬 御自愛御祈り申し上げます。 右、お礼方々 草々不一
 2015年12月13日                     延原時行拝
 小野寺功 先生」
 二 我やしも御友神学その調べ頷き給ふ声になごむや
   (備考:小野寺功先生御返書12月17日付:「暖冬とはいえ、この頃はきびしい寒さが続いています。そちらは今頃は雪かなと推測しておりますが、お変わりございませんか。
 先日は「良寛「風の歌」にちなんで、御友神学の省察」と題する論考をお送りいただき、誠に有難うございました。
 早速に拝読し、「至誠心の神学」からの新展開を画する内容であることを知り、心底から深く共鳴するところがありました。
 従来「御友神学」的内容は、ほとんど話題にもならぬ程忘却されて参りましたが、良寛の愛語に導かれて、その本来の意義が掘り起こされましたことは、大いなる業績です。私の聖霊神学が大拙の日本的霊性を媒介して可能になったことと相通じるものがあると思いました。
 日本において「二究極者の問題」は真の意味で解決されていませんが、唯一学兄の「至誠心の神学」は、その核心的解決に迫っていると思います。日本最深最大のキリスト者であり新井奥邃は、儒教キリスト教を結びつけ、「至誠」を聖霊論的に解釈しておりますが、それとも深く結びつくところがあります。
 確かに御友神学の位相は、滝沢先生のインマヌエルの神学を継承しつつ、純粋神人学を補完する独創的内容を含むものです。
 滝沢先生の業績は、キリスト論から聖霊論への橋渡しをした点にあると私は考えています。私たちの世代はこれを一歩進めるところにあります。
 今この先端的課題にとりくんで成果を挙げているのは、八木誠一さん門脇佳吉神父さんと学兄の三人で、共に「働く神」の神学の広場に到達していると思います。
 しかしその本格的展開と評価は、今後にかかっています。「御友神学」の成果を期待しています。
 私はようやく生涯かけて求めてきた神学上のアルキメデスの支点がようやく確立しましたので、ここから歴史哲学の問題を展開し、敗戦後の歴史体験を整理したいと考えています。
 敗戦後、「真相はこうだ」というラジオ放送を聞いてきました。それは戦前と真逆なものでした。第三の道があると模索し続けてきました。今後とも御指導下さい。 とりあえず御礼まで
 12月17日    小野寺 功
 延原時行様」

           御友よの歌五首

 一 近代や石油神としむさぼりぬ何故愛語知らざりしかな
 二 現代や原爆とテロあびせしや何故御友知らざりしかな
 三 御父より聴きし事皆汝に告ぐ御友の時代始まりぬ今
 四 この時代普遍相対原理のぞ御父宇宙や具体慈悲げに
   (備考:See PR, 351)
 五 ガリラヤの基教の調べ今や聴け:
   Love neither rules, nor is it unmoved; also it is a little
oblivious as to morals. It does not look to the future; for it finds its own reward in the immediate present, the Great Friend!!! (See PR, 343) 愛支配せず、不動にあらず、それ道徳や少しく忘る、 それ未来を見ざる、なぜならば愛や只今の現在に報ひ得たるやーー御友よ!!!
   





昨日はクリスマス、お昼は思いがけずブログを御覧になった記者さんがわざわ大阪からお越しになり、神戸ハーバーランドにある「8時間労働発祥の地」のモニュメントなどをめぐって、愉快な語らいをいたしました。

大正6年以降、賀川豊彦と深い交流のあった新聞記者・村島帰之が名付けたといわれる「サボタージュ」の論稿をブログでご覧になったとか・・・。


上の写真は、冬の兵庫運河です。昨日午後、掃除機を新調するためにチャリンコに乗って電気屋さんに向かう途中で撮りました。いい景色です。



上の写真は、兵庫運河のすぐ浜側に浜山小学校があり、小学校の塀際にある木や花たちです。

帰路、ひろいサッカー場の広場をぶらりぶらり・・・・。

スズメたちが群れていました。