延原時行歌集「命輝く」(第2343回)(三日月と金星、夕焼けなど)

         
  延原時行歌集「命輝く」(第2343回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(233−10)
反省の歌三首、実にも御心の歌、妹背最後の会話の歌、ぽつりぽつりの歌、今将にの歌、新しき事の歌、ゾエ−(命)の歌、秋の日の歌、面白しの歌、神Ecozoicsげにの歌、笑み増し不思議の解の歌、溢れけりの歌、我覚りぬの歌、ポスト核時代の信の歌、英文稿の歌、新時代の歌、老松やの歌(2015年11月1日〜10日)。

    11月10日
          新時代の歌十二首

 一 英文稿核時代のぞ去る様を明示したればエポク成しぬや
 二 新時代Divine Ecozoic Era(神エコ生代)言ふべしや佛基対話ぞ中軸を成す
 三 空(エコ)にぞや神至誠ますそれ故に至誠なれとの命法や出ず
 四 この命法告ぐる御方御友なり我妻絶後笑みにおはすや
 五 原爆を憲法法源なすやこれ虚仮不実のぞ錯誤なりけり
 六 原爆教炸裂せしは二度なりき三度はならず錯誤匡せや
 七 匡すには「神Ecozoics」そも核超ゆる事理しかとぞや認むに如かず
 八 核にてや万象決す過信そも道義の根基見ざるあらずや
 九 万法の実にも法源神至誠仰ぎ見てこそ核超ゆる今
 十 知るべしや法源の元絶対無それでこそなり新時代在り
 十一 西田のぞ哲学こそぞ新時代画す華なり誰や知るらん
 十二 絶対無場をなすとぞや告ぐる師の叡智こそなれげに時代の燦

           老松やの歌一首

 一 我が友の贈り給へる老松やどれ正月にちびりちびりと
   (備考:故郷兵庫県伊丹の幼稚園クラスメイト伊丹教会員坂本武君よりの御免酒老松、元禄十年(1697年)以来の名酒の贈り物なり。我が英文稿祝ひて正月に一献傾けむか。深謝無尽も!)

       ♯              ♯

今朝も上の歌(11月10日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    12月8日
          風ありてこその歌八首

 一 書くほどは御友持てくる一書かな幾星霜の恵み感ずや
 二 目次をば詳述するや一々の章書きし時現れ来る
 三 恵み時裏こそあるや我や知る無明悟りし時にしあれば
 四 これ誠エコロジーにも妥当すや地球あやめし人類(ひと)記録そも
 五 されどもや「神Ecozoics」ぞやありてこそなお一日を与えらる知る
 六 御神や空(エコ)に至誠にますやこそ至誠なれとぞ命(ゾエ―)やあるなり
 七 物事やただあるやとぞ言ふべきか風が持てくる言うべきやこそ
 八 かくてこそ人守るべき戒やあり友や書けるや「境」や尊し
   (備考:山本良一教授武村牧男・松長有慶両氏との共著『地球環境問題を仏教に問う』に「地球的境界にたいして精神的境界を提案する」と書き給ふ、尊し)

補記

上の歌にある新著完成草稿の「目次」は次の通り。うまく挿入できませんが悪しからず。

     良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察              
                 延原時行

目次:
はしがき
第一章 風の歌にちなんで――御友神学の省察
第二章 良寛の「愛語」とボンヘッファーの「倫理」をめぐって
はじめに
第一節 良寛の「愛語」に見る御友神学の分節化――新井満『自由訳 良寛さんの愛語』を参照しつつ
(一)主題論
(二)礼儀論
(三)忖度論
(四)縁起論
(五)現在身命論
(六)不退転論
(七)直接間接論
(八)愛語の二重根源論
(九)廻天力論
(十)命の絆論
第二節 ボンヘッファーの『現代キリスト教倫理』における愛解釈
 結語
第三章 懺悔の心――良寛アウグスティヌスの場合
はじめに 西田幾多郎の記憶論に促されて――良寛アウグスティヌスの比較懺悔論と良寛詩歌の哲学的分析に向けて
第一節 新しい夜明けに向けて――アウグスティヌスの回心から学ぶ
    序
(一)近親憎悪・自己嫌悪から精神遍歴へ
(二)「取って読め」(tolle lege)と回心・平安
(三)文明の礼拝構造の中での癒し
  第二節 良寛における「懺悔の心」――騰々天真に任す中での赤裸々な詩歌
   (一)「生涯 身を立つるに懶く 騰々 天真に任す」――懺悔の心の天真への転入問題
   (二)「少年 父を捨てて他国に走り」に込められているもの――懺悔転入の四段階
    ①出家の謎――母おのぶ
    ②出家と印可証明と懺悔の心い
    ③以南の桂川入水と良寛の越後への帰郷
    ④「愚の如し」(懺悔の心)の「道うたた寛し」(任運)への転入
第三節 「我が後を助け給へと頼む身は 元の誓ひの姿なりけり」の読解
(一)良寛の「元の誓ひの姿なりけり」に或る哲学的発見が込めら れている
(二)良寛において「詠唱そのままが救いである」仏教的伝統が文芸へと脱進した
  結語 良寛アウグスティヌスの記憶論/懺悔論は「転入」の美に満ちている。これほどの「エコ生代」(トマス・ベリー)への先駆けはない。
第四章 空、ケノーシス、および慈悲――仏教的キリスト教至誠心の神学に向けて
はじめに
第一節 空性(スーニャター)とインマヌエルの原事実
第二節 ケノーシス(謙り)
第三節 慈悲
結語
第五章 至誠心の神学から御友神学へ
はじめに
第一節 御友神学の発見
第二節 御友神学の位相
――滝沢「純粋神人学」との相違に関するロゴス神学的検討
結語
エピローグ 御友神学の省察の歌
  Ⅰ(2015年10月8日)なきや御友心やの歌十二首
  Ⅱ(2015年11月8日)我覚りぬの歌十二首
  Ⅲ(2015年11月11日)我打つやの歌十五首12
  Ⅳ(2015年12月1日)御友神学の歌十首
  Ⅴ(2015年12月3日)御友神学本二方の歌十首
  Ⅵ(2015年12月6日)妹背二人三脚の歌四首
  Ⅶ(2015年12月7日)一書脱稿の歌四首
  Ⅷ(2015年12月8日)風ありてこその歌八首
あとがき






今朝の新聞では「あかつき・金星軌道投入」の記事が踊っていますが、6時起床して玄関の扉を開けて日の出前の景色を見ると、上方に鮮やかな三日月と金星が輝いていました。とても珍しい景色でした。

昨日の夕暮れには、夕焼けのあまりの美しさに誘われて、ついつい地階まで降りて、小走りで新湊川あたりまで・・・。撮影順に並べます。最後は自宅に戻って、我が家からの夕焼けです。









昨日の日中は小春日和、我が家の年老いたカニシャボテンは、今年も奇麗に咲き誇っています。薔薇と共に・・・。