延原時行歌集「命輝く」(第2196回)(昨日の七夕は雨でした)

                      

         延原時行歌集「命輝く」(第2196回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(218−7) 復活やの歌、宇宙のぞの歌、祈り道の歌、過日はやの歌、このところの歌、英文二新著の歌、今朝がたやの歌、第一義・第二義の歌、御友生き方の歌、嬉しきの歌、母校に翔ぶ日の歌、この道やの歌、於Claremontの歌、友方にの歌、カブ講演に寄せての歌、心にぞ暖かき雪降りしきるの歌、ホ氏や言ふの歌、会に出でての歌、西田言ふの歌、間主体intersubjectiveの歌、Room128にて早朝の歌 朝8時Mudd & Blaisdell Hall (宿舎)前にてSupershuttle待ちつつの歌、ANA機上にて思ひたるの歌(6月9日帰国)、人生はの歌。(2015年6月1日〜10日)

         〇(6月9日)ANA機上にて思ひたるの歌
               (6月9日帰国)七首

   敬和をぞ建つる事とて励みしや北垣学長支ふ嬉しも(備考:敬和学園大学一度文部省申請失敗せし後、初代学長北垣宗治先生と共に初代チャプレンとして、此処クレアモントより呼ばれて帰国赴任、辛苦開学なりたるなり。二十四年の昔1991年春の事なり、思ひ出ず)

   我人生復活省察元にして一歩や一歩さらに登らむ   (備考:これ只今の思ひなり)

   我妻と箴言作り修行せりいと近き神支へ給ひぬ
   (備考:これ妻看護介護の三年四か月の思ひなり)

   かくてこそ堅固なる基礎据へたるや御友と共に飛翔せんとて
(備考:これ三年四か月の英文箴言我と共に修行ありて我妻絶後笑み増し、復活飛翔喜びての思ひなり)

   此度のぞ突如講演瞬発す滑らかに出ず一語一語や   (備考:これ此度の「演説」為し得たる感謝の思ひなり)

   御神の示しますまま道や往く歓びこそや御旨随(まにま)に

   「アンセルム」「Divine Ecozoics」孰れもや風のまにまに脱稿や成る(備考:英文二著:Anselm's Argument and Buddhist Wisdom; Toward an Ecozoics of the Deity: Ecological Theology in a New Key Coping with the East-West Dialogue in Philosphy完成や嬉し)

            〇(6月10日)人生はの歌二首

   人生は復活のぞや助走なり御友呼びます「我に従へ」

   第二巻復活省察副題や「歌より智慧へ」御友在りてぞ
(備考:『復活の省察 [第二巻]ーー歌より智慧へ:人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ:However miserable you may be, if you see God-with-us from the back, you smile)

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今朝も上の歌に加えて、延原さんのメルマガ「風の便り」より最新の歌を収めます。

            〇(7月7日)驚きぬの歌一首

   驚きぬ佛基対話ぞ今の世に不可欠なりと拙著上昇(備考:拙著『仏教的キリスト教の真理ーー信心決定の新時代に向けて』(京都・行路社、1987年)急上昇、只今アマゾンにて193,801位なり)

            〇(8日)御文嬉しもの歌二首

   かくまでに我ら復活信仰や真摯に取らる御文嬉しも
(備考:敬和学園大学名誉教授浅野幸穂先生よりメール御書簡「尺取虫の弁」7月7日付在り、感謝無尽も:「延原時行先生  突然のeメールとなりましたが、良かったでしょうか。それよりも、小生のPCの操作で果たして届くか心配です。
 先に先生からお手紙と最近のお作物をまとめたレターパックを頂いたのが4月半ばで、それから3ヶ月になります。それらを頂いたことへの御礼さえ申し上げず、非礼極まりないことでした。遅まきながらお詫び申しあげます。頂いたお作物は:『風の便り』号外第15号;Haiku and Analysis: Ryokan and Whitehead (Buddhist-Christian Studies 34所収);「『復活の省察[上巻]――妻と歌う』に寄せて」(『良寛だより』)第148号)。
 さて、列島全体が長雨となり、梅雨明けも遅れる気配の、まことに鬱陶しい天候のもと、先生にはお変わりなく、お元気で御活動中でしょうか。小生の方ですが、前回弁解的に申し上げましたようにな心身の諸条件の衰えは基本的に変わらず、むしろそれらの複合的な累積のために、からだの疲労感と回復の手間取りが増大して、仕事のはかどりを一層遅らせているようです。本当にちょっとしたことの処理さえ簡単にゆかず、日送り、週送りの有様です。
 一般的な泣き言はさて置き、お作物のうちホワイトヘッド、及び良寛に関することは簡単に咀嚼できるものではありませんでした。先生の思想的・理論的なお立場の総体の中に置いてみて、おそらくはこういうことであろうかと推論するくらいで細部の正確な理解に立ってではむりです。良寛については岩波文庫版の『良寛詩集』が手元にあって、漢詩に感心したのですが、読み通してはおりませんで。
 そこで取り上げられるのは、『風の便り』だけといいうことになります。先生は、1年前の思わざる突然の御奥様のご逝去という悲劇と立ち向って、その過程で奥様の思い出天父奉献への一貫した信仰の結実を体験なさいます。それこそ先生年来のキリスト教信仰における復活の根本的意義の確認でした。奥様とはそれに先立ち復活主題の書物制作が話し合われていました。まさに奥様が制作者、先生は実行者というわけです。『風の便り』中の「この成果の歌」をはじめ、『復活の省察』(上)の刊行後の読者の急拡大が数字で示され、旧い誤訳の聖書にしがみつく教会に意気軒昂として勝どきが挙げられます。「日ノ本の基教いのちの復活を貶めしやももはやこれまで」、「復活の信無き基教変貌に至らせんとて妹背励めや」。教会内あるいは教会間の理論闘争の激しさに小生は認識を改めました。
 最近気がついたことですが、『風の便り』はメールマガジンですから、綴じた文集としてレターパックでお送りくださるのは余分なお手間や出費を煩わせております。以後はメルマガの一読者としていただきたいものです。それを登録するつもりのこの便が届くかどうか、わかりませんが、今はメルマガの題字下にある先生のメールアドレスに勝手に送信させていただきます。それに伴い、その維持費などとして貧者の一灯として送金させていただきたいと思います。これも題字下の記事、郵便振替:00550−6−49528、宛名は東西プロセス研究企画でよろしいでしょうか。
 桑などの木の葉を食べようと、寸法を測るかのような動作で木の枝をゆっくり這って昇りゆく尺取虫こそ、材料をじっくり調べながらまとめて仕事をする、人文・社会の分野の仕事スタイルではないでしょうか。この上ともご指導ください。  浅野幸穂拝」 返礼、7日付:「浅野幸穂先生  誠に蕪雑な我が書き物でありますのに、これほどまでに真正面から御閲読頂くばかりか、電子メールでのご論評をご丁寧にご送付いただきまして恐縮の極みに存じます。心より厚く御礼申し上げます。復活の元々の聖書的意味、我ら妹背のこれをめぐる本作りの決意のほど、ーーご理解いただきましてこれ程の感激はございません。
 復活は、御友(キリスト)の成し給う命の天父への回帰のリアリティであります。復活に関する最も重要なテキスト(ヨハネ福音書21章15節)を誤訳、歪曲する日本の聖書翻訳者の所業は誠に恐るべきものであります。それは、何よりも先ず、復活を自分たち人間の愛の行為と同一視しているからであります。「愛の宗教キリスト教」と聴けば、聴こえはいいのですが、何の事はない、自己自慢に外なりません。そこに何の超越的契機もありません。単なるヒューマニズムにしかすぎません。
 私は、我妻の絶後笑み増しを幸いにも一瞥することを許され、それだけで了解致しましたーーこれは、絶後の、御友による、幸いであると。

  人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ

  We perish and are immortal. [Whitehead, PR, 351, 82]

 御礼に6月と7月の「風の便り」をメールにてご送付させていただきたく存じます。

 天来の主の豊かな御祝福を御一家の上にお祈り申し上げます。
 右、お礼方々
 草々不一
 延原時行」)

   先生や尺取虫の歩みこそ調べ纏むる仕事道とぞ









昨日の七夕は雨でした。ぶらり散歩も大きめの傘がいりました。


上の写真は、住宅一階の玄関から雨に濡れる中庭を眺めたものと、傘をさして公園の七夕飾りを撮りました。

そしていつものように私たちの花壇の花たちなど、昨日の写真の中から数枚収めます。

昨日は宿題を戴いている「賀川豊彦関西学院との関係について」の途中の下書きを関係する方々にお目通しいただく作業をいたしました。これもぼちぼちですが・・・。