延原時行歌集「命輝く」(第2194回)(ヒマワリの花・戦争法案ダメ長田区民集会パレード)

                       

        延原時行歌集「命輝く」(第2194回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(218−5)復活やの歌、宇宙のぞの歌、祈り道の歌、過日はやの歌、このところの歌、英文二新著の歌、今朝がたやの歌、第一義・第二義の歌、御友生き方の歌、嬉しきの歌、母校に翔ぶ日の歌、この道やの歌、於Claremontの歌、友方にの歌、カブ講演に寄せての歌、心にぞ暖かき雪降りしきるの歌、ホ氏や言ふの歌、会に出でての歌、西田言ふの歌、間主体intersubjectiveの歌、Room128にて早朝の歌 朝8時Mudd & Blaisdell Hall (宿舎)前にてSupershuttle待ちつつの歌、ANA機上にて思ひたるの歌(6月9日帰国)、人生はの歌。(2015年6月1日〜10日)

        〇(6月6日)心にぞ暖かき雪降りしきるの歌十二首

   心にぞ暖かき雪降りしきる御神二重の至誠なします

   先ず御神空に至誠ぞ次にはぞこの事御子や見かつ称ふや
   (備考:マタイ5・48節、熟読参照)

   称ふ時御子弟子にぞや御声かけ汝全かれ友よ言ひ給ふ
   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照)

   かくてぞや御友神学顕われし故こそ何ぞひらけにひらく
(備考:父子ひらけにひらくとは、復活なり。これぞ御友の招請極意)

   御神の二重の至誠なさるるや必然的に甦り生む

   かくなれば今生のみの命など「全き」実在およそ許さず(備考:アンセルムスの発見せし「信なくとも遂に神認識在り」との原理、ここより出ずるなり)

   御父がひらけに全くあるやこそそのひらけにぞひらく復活

   父子ひらけ在るに全き御父やこれ見て御友ひらけ往く哉

   これを見てひらけ往くぞや御友かな徹頭徹尾我ら友とし

   我はしも御友神学驚嘆す如何に真理の奥深きかな

   真理はぞ仏教的に言ふならば空即縁起御父是往く

   即ちぞ「空即縁起」父現成この事「承認」御友の真理 

             ホ氏や言ふの歌十首

   ホ氏や言ふ原初的なる神本性全創造の「前」ならず「共」
(備考:PR, 343: "Viewed as primordial, he is the unlimited conceptual realization of the absolute wealth of potentiality. In this aspect, he is not before all creation, but with all creation.)

   然らばや「共」は御神の属性と見做すことはや相応しからず

   神「共」に至誠なる事真なり真証しす帰結本性   (備考:証し世界に向けての事なり)

   そこにぞや顕れ出ずる物は何冒険宇宙現象統一(備考:AI, 295: ”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.")

   現象の統一これぞ御友成す交互関係天地繋げり(備考:PR, 351: "For the kingdom of heaven is with us today. The action of the fourth phase is the love of God for the world. It is the particular providence for particular occasions. What is done in the world is transformed into a reality in heaven, and the reality in heaven passes back into the world. By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love in heaven, and floods back again into the world. In this sense, God is the great companion, the fellow-sufferer who understands.")

   我妻や絶後笑み増し往ける如岸辺の主こそ御友なりけり   (備考:ヨハネ12・4、熟読参照)

   我れらはや滅して不滅間にぞ御友立ちます命歴々   (備考:ホ氏や言ふ:”We perish and are immortal.”)

   学会の只中にてや瞑想す誠心ぞ透き通るごと

   ホ氏遂に「共」で始めて「中」でぞや神学びをば終るなりけり
(備考:終り是なり――PR, 351: "We find here the final application of the doctrine of objective immortality. Throughout the perishing occasions in the life of each temporal Creature, the inward source of distaste or of refreshment, the judge arising out of the very nature of things, redeemer or goddess of mischief, is the transformation of Itself, everlasting in the Being of God. In this way, the insistent craving is justified—the insistent craving that zest for existence be refreshed by the ever-present, unfading importance of our immediate actions, which perish and yet live for evermore.”この一節で重要なるは、大文字書きのところなり:”Creature”→the transformation of “Itself,” everlasting in the “Being of God.”)

   御神や遂には我ら招き給ふ最奥「共」の「中」へとぞ実に
(備考:ヨハネ17・21:「父よ、それは、あなたが私の内のおられ、私があなたの内にいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをも《わたしたちのうちに》おらせるためであり、それに依って、あなたが私をおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。」これ存在論的救済なり。主観的救済を絶えず越へゆき「神の存在の中に永久に憩う」これ存在論的救済なり)

               会に出での歌三首

   会に出で我が歓びや尽きぬ如妻が笑みぞや途切れざるなり

   友方に復活省察贈りてや謝するお姿生くやこそ

   妻と我復活省察作りてや生涯の幸分かつ是幸

           ♯               ♯


今朝も上の歌に加えて最新の「昨日7月5日」の続きと「今日7月6日」の大きな大きな喜び・大発見の歌を収めます。

              〇(7月5日)今朝の歌十首

   我妻の絶後笑み増しほどにぞや岸辺の御友証したるなし

   かく見れば妻の証しを愛でてこそ本作りをば今日も進めん

   一大事岸辺の御友再発見我妻絶後笑みてこそなり

   我が胸に暖かき雪今ぞ降るその源や岸辺の御友

   ノーちゃんやよくぞ笑みたり汝が絶後御友ともにぞ在すことをぞ

   御友はぞ原事実のぞ輝きを祈りて示す御方なるよ   (備考:ヨハネ17・5、熟読参照)

   主の祈り十字架上の絶叫や何ぞ我をと我が我を泣く

   然ればや我らなべての悲惨はや主の祈り共父に聴かるや

   父聴きて宇宙人生究極や実にも実にもぞ甦りなり

   万事のぞ御友中心更新の成れるはこれぞ「愛」成就なり(備考:ヨハネ21・15:「汝これら一切よりも我愛するか」《Agapas me pleon touton.》[Do you love me more than these?]に言ふ『Agapas』是なり:ヨハネ21・15→エペソ1・10:「それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。」)

               誠嬉しやの歌四首

   今朝の歌復活省察進みてや誠嬉しや言ふ言葉なし

   我らみな御友愛して一切の帰一是と成すこれ終末ぞ
(備考:個人の終末完成、宇宙人生の終末完成ここ《Agapas me pleon touton.》に在り。「ヨハネ21・15→エペソ1・10」我が大発見なり。復活省察さらに進捗)

   人のぞや完成今生あるやなし絶後御友に在るぞ嬉しき

   我妻や絶後笑み増し不思議やも終末完成示したるこそ   (備考:ノーちゃん、凄いこっちゃ。嬉しい嬉しい、父さん)

           〇(7月6日)今生さだめの歌五首

   今生に終末完成なき故に欣求助走ぞ畢竟さだめ

   無明とは今生終末なすことよ諸々反論出ずるその元

   反論や要らぬ事とて近き神なべて任せば絶後笑み増す

   「ノーちゃんや反論要らぬ近き神なべて任せや」痒み止まりぬ
(備考:新潟県立リウマチセンター:2011年2月4日〜6月13日にてのことなり。我かく言はば妻直ちにかくなせり。痒み消えたり。病院中の驚きなりき)

   驚きぬこの時よりぞ妻転機箴言修行一途励むや













本日の写真の冒頭は、我が家に咲いた薔薇二輪です。

昨日日曜日の午後は、新湊川公園を通り、蓮池公園横の文化体育館までぶらり散歩、そこで開かれる「戦争法案ダメ・長田区民集会」に参加しました。

会場いっぱいでボクは立ち見で、若い弁護士さんの熱弁と研究所時代にお世話になったいま87歳を迎えておられる女性(元国会議員さん)の凄まじい戦争体験に聴き入りました。会場近くで誕生され、この場所での幼小中高の体験と度重なる神戸空襲! そして特高志願の恋人が戦場に消えてゆくお話は、これまで黙して語られなかったことでした。先日も、親しくして頂いている方から少年の時、神戸空襲で行方不明となっていた父を何日も探し歩き、遂に無残な姿の父を見つけたお話を聴かせて貰いました。「皇紀2600年」に産まれたボクは、空襲体験はありませんが、戦争末期昭和20年2月に父が満州で病没し、母が遺骨ひとつ抱えて戦禍をのがれて帰国してきました。・・・・。

集会の後、文化体育館から新長田まで、手作りのウチワをもって、パレードに加わりました。過日の神戸市役所東遊園地での大集会をデモ行進も好天気で、パレード日和でしたが、終点地点から我が家までぶらりぶらり・・いい運動になりました。