延原時行歌集「命輝く」(第2186回)(梅雨のさなかの久々の夕焼けと見事なユリの花など)

                         

         延原時行歌集「命輝く」(第2186回)

「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(217−5)我が後をの歌、見しの歌、来る日毎の歌、源知るの歌、何とかなるさの歌、誠見事にの歌、英文新稿の歌、我が館復活の家の歌、驚きぬの歌、この頃はの歌、宇宙中心の歌、この時代の歌、良寛やの歌、時や未来の歌、アンセルム麗しの歌、昨晩やの歌、庭の草の歌、喜びやの歌、発見ほのかの歌、中にてのことの歌、かくもぞやの歌(2015年5月21日〜31日)。

    5月27日
              この時代の歌五首

   この時代佛基哲学なくばぞや如何に対話ぞ地球根づくや
(備考:拙著『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>:仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年、急上昇。只今アマゾン”法蔵館”全作品2,828件中82位なり)

   日ノ本の基教世界に表すに佛基対話ぞなくば詮無し

   近代の基教受容の薄きにぞ佛基対話ぞ深み与ふや

   日ノ本の基教薄きは復活の信無きことに如実なりけり

   復活の省察賛嘆賜りし仏教賢者なるや妙なる

              良寛やの歌二首

   良寛や「我が後を」こそ転じてや元の誓ひの姿窮むや

   この姿超越内在ともに秘め御友姿に似るや麗し
(備考:我が新発見これなり:良寛の短歌「我が後を助け給へと頼る身は元の誓ひの姿なりけり」、ヨハネ15・15の御友姿に酷似せるやと。「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。」)


          ♯               ♯


日曜日の爽やかな朝です。今朝も上の歌に加えて、「今日の歌」を収めさせて頂きます。

            〇(6月28日)箴言の歌三首

   我にぞや箴言やれと言ふは汝ひとりにしかぞなきと妻泣く
(備考:「父さんだけや、ノーちゃんに箴言やれと言ふ人は」と嬉し泣きせり)

   箴言に命見出す我妻や療養よりも深き道往く   (備考:箴言修行療養進めしは驚きなり)

   箴言を修行せしこそやがて笑み絶後にぞ見ゆ岸辺の主共(備考:箴言なしに絶後笑みなし。でや、ノーちゃん。ほんまや、父さん、おおきにね)







梅雨のさなか、昨日は久しぶりに日暮れの夕焼けを見ました。ベランダから高取山を望む景色です。

そういえば、先日のNHKの「新日本紀行」で「神戸」が映し出されていて、私たちの「高取山」が映し出されていました。くわえてこの映像には、知り合いの御方がふたりーーお一人は神戸のジャズで知られる三宮のヘンリーのママさん、もう一人は元町の高架下で私たちの仕事場の真ん前で御商売をされていてお世話になった親切なあの叔父さんーーも登場しておられ、特別の印象を残しました。「新日本紀行」は、毎週月曜日の「釣瓶の家族に乾杯」と中井貴一の「サラメシ」とともに楽しんでおります。

ところで、昨日のぶらり散歩では、お隣の「御蔵菅原」で、立派なユリの咲いている住宅の前でカメラを向けていましたら、いつもユリを育てておられる方と住宅の御方が出てこられて、このあたりが震災によって焼け野原になった「あの日」の事や長い避難先での生活や、こうしてこの町に戻ってこられた経緯など、はじめてであったばかりのボクを相手に、なんとなんと延々と話していただき、ほっこりしてしまいました。いいひとときでした。

それで本日の写真は、その見事なユリの花たちをならべて置きます。