延原時行歌集「命輝く」(第2180回)(兵庫県弁護士会主催「兵庫大集会・パレード」に)

              

      延原時行歌集「命輝く」(第2180回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(216−7)
為すは人主体御神の歌、摂理謝すの歌、今日の日やの歌、朝餉の歌、妻幸せの歌、微笑の歌、主の祈り二重の歌、愛の歌、不実教と御友飛翔の歌、「友よ」嬉しやの歌、今朝恵まれし御友神学の歌、称名の歌、道伝ふ歌の歌、宇宙開眼の歌、神学びの歌、任す日や佳しの歌、御自らの恵み歌、御神日々の歌、変貌論の時代歌、主の促しやの歌、本作る父さんやっての歌、悟りたりの歌(2015年5月11日〜20日)

    5月18日
             変貌論の時代歌七首

   なにごとも時や在るなり変貌論今に上梓ぞ時代一驚
(備考:新著『変貌論の時代――良寛ドストエフスキーホワイトヘッド・信子』なり)

   かつてはぞ人間原点志向あり今底ひらけ変貌の時

   原点の底ひらけてや大変貌ひらけにひらけ甦り時

   甦りなりてこそなり天よりぞ入来在りて近代超克

   近代や一度今生超ゆるもの在りて入来かくて再生

   今生が今生刷新成すやなしPentecostal Eventぞ文明一新

   我もはや生くるに非ず基督や我が内生くるこれ変貌ぞ(備考:ガラテヤ2・20、熟読参照:これ「聖霊降臨」Pentecostal Event=我の言ふ「入来」=の基準的テキストなり)

             主の促しやの歌一首

   上野来て雪烈しくやなりにけり主の促しや歴々たるよ
(備考:所用在り関西に行くも、御友神学瞑想、新英文稿瞑想を心掛けしなり。雪烈し)

           本作る父さんやっての歌一四首

   「本作る父さんやって」言ふや妻これ程のぞや情熱もなし

   本意欲実につよしとも我頼る信の心もつよしもつよし

   復活の省察的に妻と我天地心を併せてや往く

   第二巻心血注ぐ今やこそ妻入来や誠イベント
   (備考:Pentecostal Eventなり)

   然る故痛し果敢無しあるものかなべて御父と御友在りてぞ

   我らはぞ天地一枚活くることこれ命とぞ心得るなり

   心して復活省察三部作編む歓びの日々に成る佳し   (備考:5月18日、梅田阪急三番街日本料理楓林にて)

   このところ御友神学二章書く新約真理輝くや見ゆ
   (備考:第一章「友達づくりの神学」;第二章「何ぞ我を?」なり)

   第三章御名崇めさせ給へとぞ主の祈りのや不思議是なり

   主の祈りエリエリとぞや捧げらる父聴きてこそ御子や挙げらる

   かくて御子「主」の御名やこそ与へらるこの御名我ら崇め往くなり

   この如く主の祈りはぞ二重なり主祈りてぞ御名あり称ふ

   御名称ふ他のことならず甦り称へ往くなり宇宙歓び

   イエスースクリストスああイマヌエルアーメンとぞや称へ往くなり
   (備考:ここまで同上楓林にてなり)

           ♯               ♯


今朝は上の「5月18日」の歌に加えて、昨日のブログでも記しましたように、延原先生の昨日の説教「復活のよろこびーー七重の調べ」の「レジュメ」を、いただいた先生のメール便と共に、ここに収めさせていただきます。

この教会は、素敵な木の香りのする家の教会だそうで、1時間10分におよぶお話をされてーーふつうは30分前後の説教がおこなわれるのですがーー、みなさんとの打ち解けた語らいもまた特別のものがあったようです。

「鳥飼先生 非常に実り多い、北新潟教会での説教でした。はじめに「復活のよろこび」を、主イエスの復活と私の復活の同時性に在ることから語り始めました。御友神学は、みなさん初めての出逢いでしたが、このまれました。大体、IからⅦまで、レジュメを見ずに、口頭で自由に展開。「ヨハネ21・4」,「ヨハネ21・15」、「ヨハネ21・15,16,17」、「ヨハネ15・15」、「ガラテヤ2・20」は論じつくし、あいだに必ず「延原信子の経験――ことに笑みまし」を挟んで語りました。最後に、使徒パウロのペンテコスタル・ヴィジョン(ガラテヤ2・20)。落ち着いた感じの「木の香りのする」教会。原山牧師は温厚な紳士。昼食会で多くの質問が出ました。挨拶のかたちで。『復活の省察』『あなたに』を三部ずつ(牧師と教会に]差し上げました。
レジュメの2頁のパスカルへの言及は、「無限の空間の永遠の沈黙」と書き換えます。よろしく。この「空間」の問題に、私は「御友」神学で言及しています。意味のある、重要な指摘(宇宙論的キリスト論)に成っていると、改めて納得しています。この問題は、実は、滝沢純粋神人学が、インマヌエルの原事実へ向かう、としながら、史的イエスに「縛られない」とすることから、実は、胚胎したのでした。滝沢の問題は、「御友」神学が越え行くとすることは、正当だと感じています。
「本作る。父さんやって」の背後には、御友の願いがある、ーーこれは、ますます、大歓喜であります。
右、お礼方々 IXIA! 延原時行 」


          復活のよろこびーー七重の調べ

      生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ

           北新潟教会説教(2015年6月21日)
           のためのレジュメ
               延原時行
               敬和学園大学名誉教授

ヨハネ21・4:「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。」
人生の岸辺の主の発見(物語神学から形而上学的神学への「復活のよろこび」解釈の変転必要)。復活主への無知を何時如何にしてキリスト教会は脱するか。これ最大の問題なり。

  延原信子の場合:2014年3月11日~13日の「笑み増し」

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す(備考:「深き低み」恩師滝沢先生の御言葉なり。「インマヌエルの原事実」=太初のロゴス(ヨハネ1・1・第一項)のこと。その「底」私の言葉なり。「神と共なるロゴス」(ヨハネ1・1・第二項)太初のロゴスを背後から包む、包括的ロゴスなり。このロゴス空間を道として、御子我らを抱きかかへ底より御父に向い飛翔成すこと復活なり。包括空間の底部御子なり、頂上御父なり。包括空間、御子と御父との間なり、伝統的神学では、Perichoresis (三位一体の関係性循環)と言ふなり。「滅して不滅」なるは、包括的ロゴスを通じて飛翔する故なり。そこに永生あり)

ヨハネ21・15:(私訳)「食事が終ると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、これら一切の物(備考:網、舟、漁業、延いては宇宙の諸多性)以上に、わたしを愛しているか』と言われた」。復活は「総体解除」「己を捨てて我に従え」(マルコ8・34−35)の帰結である。
(新共同訳=誤訳)「食事が終ると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた」。世紀の誤訳:イエスへの愛の人間主義化。愛の競争主義ヒューマニズム

  御友神学の解:汝や我これら物より愛するや宇宙の真中聴き給ふ
(備考:シャルダン死の三日前、1955年4月7日に手記:「宇宙には中心がある。基督が宇宙の中心(真中)である。(See The Future of Man, New York and Evanston: Harper & Row, 1964, p. 324.)また、ホワイトヘッド主著『過程と実在』末尾に、宇宙において「天国と地上の交互作用」を司る”The great companion, the fellow-sufferer who understands”の思想残す(351頁)。

ヨハネ21・15、16、17:「わたしの小羊を飼いなさい」「私の羊の世話をしなさい」「私の羊を飼いなさい」。

  Re-missio Peccatorum (罪人達の赦し即再派遣):復活後の人類に「使命有り」。鈴木大拙博士の「衆生無辺誓願度」の思想に似る。

  罪人の赦し主はぞ我らをぞ再派遣なす「わが羊飼へ」

ヨハネ15・15:「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いていたことをすべてあなたがたに知らせたからである」。

  御友宣言:
  我が友よもはや僕と呼ばざるよ父から聴きしなべて告ぐるや
  延原信子の場合:
  人如何に悲惨なるとも底からぞ神友にます見れば微笑ぞ 
 神学は、以後御友神学となるなり。父から聴く超越次元と弟子たち(我々)を友と呼ぶ内在次元の間に御友空間あるなり、これ宇宙なり。宇宙は、したがって、パスカルの恐れたる「無限の空間の永遠の沈黙」に非ず。暖かき御友なり。

思い出奉献:「加齢と共に、いつかは果てる時もいずれ来る身を自覚すると、一期一会を大切に棺が焼けても天父のもとに持参できる思い出をふやしたい」。延原信子:2010年11月28日手記。拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか――妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語』(東京・日本基督教団出版局、2011年)参照:①2010年11月30日雪囲いの最中梯子から落下、居間に寝かされおりしも、右手で書棚の本二回引きよせ、三度目には洋傘鷲掴みして、上智大学での講演「良寛とトマス・ベリー」に往けと時行に指示せり。神の御心のままに。②12月1日県立新発田病院に入院脳挫傷手術、当初6%の生存率なりしも、奇跡的に回復。③2011年3月9日、英文箴言第一条書く:God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.英文箴言30条完成まで精進す。そのことにより天父に奉献すべき思ひ出作り修行となす。2011年2月4日新発田病院から県立リウマチセンターに転院。6月13日、豊浦病院に転院、10月5日退院。以来、ますます元気になるも、2014年3月11日昼食時のどを詰まらせ窒息死。されど、絶後笑み増し豊かに御国に行けり。ホワイトヘッドの言う、「滅するも不滅」(We perish and are immortal.)の境地「復活」を賜はる。2014年5月20日早朝時行天父より「我信子を甦らせり。」とのメッセージ受く。

  我妻よ三年有余癒されし思ひ出ほどの華やぎあらじ

  見事なる華やぎぞ実になりし折召さるるや汝笑み以てぞ往く

栄光在主:ヨハネ17・24:「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、たんち創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです」。

  この欣求
  (注。思い出奉献の欣求)如何に深きや根源主天父と共にいます道往く
(備考:拙著『復活の省察[前巻]――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』新潟・考古堂、2014年)参照。一生の思ひ出天父に奉献成すとは、信子の確固たる人生神学なりき)
 
ペンテコステ・ヴィジョン:ガラテヤ2・20:「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」。

  我もはや生くるに非ず基督ぞ我が内に生く有難きかな

  「本作る父さんやって」妻言ひし御友の願ひなるぞ嬉しき(備考:2014年2月13日北越病院にて祖父江八紀ドクターご質問あり「何したい」。我妻「本作る。父さんやって」と応える。これ妻の遺言と我受け取れり。この遺言御友の願ひなること覚えつつ、我時行大歓喜なり。これ程の大歓喜我知らず)

                 [了]

補記

今朝のメルマガ「風の便り」も届きましたのでここに加えます。


         〇(6月21日)今日我やの歌十首

   今日我や二人三脚説教を果たしたるなり「復活よろこび」
(備考:日本同盟基督教団北新潟キリスト教会=新潟市北区太夫浜2040−1=にて説教「復活のよろこび」なしたるなり。原山康伸牧師ご招待、元敬和学園高等学校教諭鈴木孝二先生ご仲介によるなり)

   我妻や絶後笑み増しありてこそ主の甦り我や語りぬ

   木の香り漂ふがごと北教会復活よろこび御顔に語る

   誠にや我復活を語る幸我妻絶後笑み増してこそ

   笑み増して御友臨在証し妻驚愕の果て驚愕ぞ是   (備考:一の驚愕や絶命なり。二の驚愕こそ絶後笑み増しなり)

   白々と夜ぞ明け初めぬガリラヤ湖岸辺に立つ主御姿の見ゆ   (備考:ヨハネ21・4)

   復活のよろこび称へ御堂にて我語るうち御友顕現

   和やかに会食ありて原山師牧会歴をふと語ります

   此度のぞこの幸あるや敬和のぞ開学以来の友ありてこそ
   (備考:鈴木孝二氏と切磋琢磨ありてこそなり)

   我妻と作り来れる著書二つ謹呈なすや大歓喜あり
(備考:説教「復活のよろこび」なしたる後詳しき説明二著『あなたにいちばん近い御方は誰ですかーーつまと学ぶ「ラザロとイエスの物語」』と『復活の省察 [上巻]――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』に托したり。謹呈六冊原山牧師をはじめそれぞれ手に為さる友方の笑顔に、我大歓喜す。本を作りしことは佳き事なりきと)








今日は夏至、また暑くなりそうです。

昨日の日曜日の午後は、上の神戸新聞の一面記事にあるように、兵庫県弁護士会の呼びかけによる大きな集会があり、でかけてきました。

三宮の東遊園地には早くから満杯の人々が集まり、フラワーロードなど各方面へ分散してのパレードもあり、久々に路上あるきをして盛り上がりました。

学生時代にはちょうど「60年アンポ」を経験しましたが、神戸に来たころはあの「70年アンポ」の時で、あの時は延原さんなどはデモの主催者として元気いっぱい!!、そして半世紀を経て、21世紀のいまを迎えています。

集いには、子ども連れのお母さんたちや若者たちも多く、馴染みの顔にも多く出逢うことができました。あらためていま、わたしたちもフンドシの締め直しの時ですね。

この東遊園地はあの震災記念の集いのある場所でもあり、モーツァルト像やモラエス像もある、市民のひろばです。