延原時行歌集「命輝く」(第2171回)(須磨離宮公園――新池・石段・月見台休憩所など)

                     

         延原時行歌集「命輝く」(第2171回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(215−5)
先達やの歌、この道やの歌、哲学やの歌、思索なすの歌、カブ著拙訳上昇の歌、今成すの歌、いよよの歌、何故にの歌、神表現の歌、我やしもの歌、御友福音の歌、御友二態の歌、「復活の省察」中巻の歌、昂揚感の歌、神学一瞥の歌、行脚霊感の歌、主の祈りの歌(2015年5月1日〜10日)。

    5月6日
             御友福音の歌十首

   仄々と我悟りたり福音や「友よ」と呼ぶや御友ありてぞ
   (備考:ヨハネ15・15)

   御友はや十字架上に「何ぞ我?」叫びて《我》となり給ひしぞ
   (備考:マルコ15・34)

   「何ぞ我?」これ主の祈り他ならじ聴くや御父や御子を引き挙ぐ(備考:マルコ15・34=ヨハネ17・5=マタイ6・9=へブル5・7=ピりピ2・11。十字架上に主イエス「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。我が神、わが神、何ぞ我を見捨て給ひし」と絶叫し給ひけるは、詩篇22篇1節にて、夙にヨハネ福音書17章5節に御父に願ひ給ひける祈り「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今御前にわたしを輝かせて下さい。」を、辞世の歌となし給ひたるなり。ヨハネ17・5は、弟子の聴く所でのみ主の祈り給ひたるリハーサルなりき。これ、公の歴史的場なる十字架上にて、主は辞世の絶叫と成し給ひたるなり。所謂「主に祈り」において「み名を崇めさせ給へ。」とあるは、我の見る所、ヨハネ17・5の言い換へに他ならず。すなわち、マルコ15・34の絶叫「何ぞ我を?」において否定形にて表されたる主イエスの祈りなり。マルコ15・34の絶叫がヨハネ17・5の「我が太初の栄光を輝かしめ給へ。」なる祈り(真の主の祈り)を含むこと理解せざるべからず。この事へブル5・7も傍証せるものなり。かくて、主イエス御父に依り甦らされたるなり。そのこと、「御栄の、父に依る、華やがせ」なること、ピりピ2・9にては、「すべての名に優る名を賜わる事」と言はれおるなり。これ、マタイ6・9にては、「み名」とさるるなり。「み名」とは、それ故、「キュリオス=主」のことなるが、同時に「父による、イエスへの、キュリオス=主なるキリスト論的称号の、命名行為」なる事、注意すべきなり。ならば、「み名」とは、「イエスが主である」み名と、このみ名を父がイエスに与ふる命名行為との両方を表すなり。所謂「主の祈り」における「天にまします我らの父よ、願はくば、み名を崇めさせ給へ。」なる第一祷における「み名」は、かかる事情の全体を含みつつ、主イエス基督なると同時に「父の命名行為」を意味せるものと取るべきなり。かかるものとして、「み名」は、「復活者」と父による「復活行為」の両者を含むなり。個物と関係性の分離はここにはなきなり。即ち、「復活者」は「父に依る復活行為」なり。かかる意味におきて、「復活者」は、「父に依る復活行為のプロセスの全体」なるなり)

   十字架上御友絶叫願ひしや「太初栄や華やがせ父」   (備考:ヨハネ17・5)

   復活主「これら一切より我を愛するや」とぞ訊き給ふなり(備考:ヨハネ21・15。因みに、「この人たちが愛する以上に、わたしを愛するか。」は聖書協会訳、新共同訳によるものなるも、世紀の誤訳なり。『復活の省察』前巻にて指摘せしとおりなり。)

   御声こそパウロ反芻せる如く「我もはやなし生くるや主ぞ」
(備考:ガラテヤ2・20。復活の内容理解において、ヨハネ21・15とガラテヤ2・20は完全に合致せるなり。そのこと理解せぬ者、復活の福音としての基督教以前なり。誤訳教は、誠、基督教以前なり!然るに、世紀の恐るべき誤訳を「公的に採用」せる邦語聖書は、聖書の真理を冒涜せるものなりと、日ノ本の基督教はいかでや思はざるや。)

   かくてこそ御友御声下りたり「わが羊飼へ」宇宙命法

   命法やありてこそなり文明や天になる如地にも成す事   (備考:マタイ6・10)

   御友共天昇りてや地に下り交互関係尽くすべきぞや(備考:それ復活形而上学なり。ホ氏の言ふ"Reciprocal Relation";"The great companion--the fellow-sufferer who understands"を注視されよ:PR, 351)

   御友のぞ福音誠麗しや我もはや実に生くるなし主ぞ








20世紀には、敬愛する鈴木大拙師が、東洋の禅仏教・大乗仏教・日本的霊性を西洋の思想・キリスト教世界に届ける使命に、その生涯を捧げましたが、21世紀のいま、新たに仏教とキリスト教の相互対話を超えて、大きな動きが進展しつつあるようです。

延原先生は、その大きな渦の中で、今朝がたも米国の恩師J・カブ先生との相互対話を交わしながら、豊饒な天与の「御友神学」を、ゆっくりと詠い続けておられます。英文著作も時を得つつ、主著『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>――仏教的キリスト教の構想』(法蔵館、2001年)のさらなる新展開が始まっています。

周知のごとく鈴木大拙師は96歳までその使命を満喫されましたが、延原先生はまだまだ70歳代ですね。面白い時が動いています!!

そういえば、延原先生は本日、新潟市民芸術分か会館で開催される「全国良寛会新潟大会」に招かれて出席の予定だったと思います。新作能「国上」の鑑賞会などもあるそうです。---この会場は、かつて200年5月21日の「良寛170年祭」の良寛国際シンポジウムで、アメリカ・ロシア・フランス・中国・日本の5か国の研究者が参加して「世界は今、良寛に何を学ぶのか」が論じ合われる場で「司会」の大役を果たされたことがありました。


私の方もお陰様で相変わらずぼちぼちと・・・昨日は「賀川豊彦関西学院の関係について」の宿題をうけて、関西学院より一歩先をはじめていた神戸栄光教会の七十年史(神戸の歴史研究を開拓されてお世話になった落合重信先生から譲り受けた昭和33年発行の非売品の古書)を読み進めています。


本日の写真は「須磨離宮公園――新池・石段・月見台休憩所なぢ」をUPします。

上の写真は、昨日収めた「花しょうぶ園」のお隣にある「新池」のハスとコイたちです。

ここから大変よくできた登りやすい石段をのぼって「月見台休憩所」まで――この石段はなんでも、天皇の登られた石段だそうです。

須磨の海を一望した後、休憩所周辺の松や灯ろうなどをパチリ・・・・。