延原時行歌集「命輝く」(第945回)(昨日の我が家のベランダ・住宅の花壇など)


      延原時行歌集「命輝く」(第945回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(181−1) 知らるるの歌、充実感の歌、我が妻の歌、大学の歌、我が日々の歌、推敲中の歌、妻の信の歌、御業の歌、復活の歌、我妻の心の歌、復活の歌(二)、英文箴言作りの歌、信復活論の歌、ピンポンの歌、本作りの歌、雪と主の歌、笑み増しの第三、四、五態の歌、生涯業績の歌、我妻やの歌、岸辺立つ主の歌、いのちの歌、友方友情の歌、いのち仕事の歌、極み見ゆの歌、汝が面やの歌、妹背会話の歌、昨日の歌、人誰もの歌、箴言の歌、甦りの歌。(2014年5月11-20)

    5月11日
           知らるるの歌十四首

   友ありて拙著『あなたに』十冊をクラス会へと持参なさると
(備考:鈴木慎吾師妻と関西学院神学部1967年度卒業クラスメートなり。鳥飼慶陽師とのご友情にて拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか――妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』東京・日本基督教団出版局、2011年をクラス会(月)にとのことなり。感謝無尽も)

   かくてこそ妻思ひ出や知らる時徐々にひらける如くにぞある

   人在るは在ることのぞや知らること含みて在るや実にも尊き
   (備考:信子「有名なるのん好きやねん」)

   我妻も一書出ずるや楽しみに有名なるのん好きやねん言ふ
   (備考:尤もこの「一書」は新著のことなるも)

   主の御旨ひそと成されぬ我妻の怪我と死にぞや今ぞしらるる

   怪我ありて妻箴言に打ち込みぬ絶後笑みたり岸辺の主共
   かくてぞや妻生涯は復活の二様の器称へつつ生く
   (備考:ラザロ復活のかたちと岸辺の主と共のかたちなり)

   復活をこの国未だ知らずして聖書誤訳に無智露わなり
(備考:ヨハネ福音書21章15節「汝これらの物よりも我愛するや。」(私訳)なるを「汝これらの人為すより我愛するや。」と訳し、単にヒューマニスティックなる愛の競争主義に陥りたるなり。これキリスト教に非ず人間教なり)

   この時に妻思ひ出の奉献に命賭けたり復活前提(備考:延原信子生涯賭けし人生神学「思ひ出棺焼けるとも天父奉献」の「論理における前提としての」重要性これなり:それなくば復活の証明ならず)

   誠にや復活なくば思ひ出は天父御座まで如何に運ばる(備考:復活は単に命死より甦るだけの事にあらず、かくて思ひ出天父に奉献成るの事なり、宇宙的事件なり)

   思ひ出の天父奉献成ることは復活の道通りてぞこそ

   ああ信子その生涯の使命こそ復活体現称ふるに在り

   世の人よ何故に命をこの世にぞ限定しつつ果敢無し言ふや
(備考:何故に「汝が思ひ出つくり天父に持参奉献すること」宇宙人生完成の前提としつつ、この前提を岸辺たる復活主「共空間」を通りて飛翔、奉献を助け給ひ、天父思ひ出を受容し給ふに及び、宇宙人生完成成ること、これ復活なりと信ぜざるや。前提ありて証明成るなり。なりたる証明こそ「復活」なり。我ら妹背かかる復活信仰に生くるなり。かくて我ら人生二重に生くるなり。この世だけに非ず。必ず御国入りを人生いや果てに含むなり。ホワイトヘッドもハーツホーンもこれ冒険的なる「神の帰結的本性」(The Consequent Nature of God)の想により宇宙の完成・美を楽しめり。形而上学的神学ここが極め付きなり。かかる想持たずして人死に臨む事我らにとり考へられざることなり。死は結局死の死(第一コリント15・26)なれば、楽しみなるなり。いや果てに「霊体」(第一コリント15・44)授与の祝福あるなり)

   果敢無しと言ふ汝が命破りては我妻棺中笑み増しつ往く



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今朝も蝉しぐれ、六甲の山々は綿雲です。

あさのラジオでは、詩人「まど・みちお」さんの「トンチンカン夫婦」が朗読されていました。いい朝です。

今日の写真は、我が家のベランダから眺める高取山とベランダに咲く薔薇。そして住宅の花壇とご近所の百日紅・ひまわり・柘榴などです。