延原時行歌集「命輝く」(第2905回)(二輪のサボテンと一羽のセキレイ)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。
10月11日
原事実思案の歌十六首
一 恩師のぞ佛基哲学学びつつ推敲進む我が第三章
(備考:“Principles for Interpreting Christ/Buddha:Takizawa and Cobb”なり)
二 肝心の要処到来必ずや「原事実」の語現るるなり
三 それ故に滝沢学や通常の神学超えて実験学よ
四 尤もや「原事実」学我はしも「原受肉」成る当所とぞ見る
五 恩師何故「神共」ロゴス捨象して「原事実」をぞイマヌエル呼ぶ
六 恩師のや学に「神共」ロゴスのや「太初」染むとの面白さなし
七 「神共」と「太初」誠や絶対の矛盾の「一」ぞこれ原受肉
八 「神共」のイマヌエルぞや「神人」のイマヌエルとぞ変転生成
九 イマヌエル「神共」変転在りてこそ「神人」事成す原受肉燦
十 かくてこそ「仏性即我」禅真理誠ぴたりと「原受肉」なり
十一 原受肉「神共」ロゴス「太初」にぞ浸潤ありてイマヌエル成る
十二 成るやこそ「神人」間のイマヌエルこれ端的に「原事実」超ゆ
十三 この境位御友神学我名付く「父から聴きて『友よ』との声」
(備考:『ヨハネ』15・15、熟読参照)
十四 イエスはや「神国」指して「近づく」と宣ベ給ふぞや原事実超え
(備考:『マルコ』1・14-15、熟読参照)
十五 イマヌエル「原事実」と呼ぶ恩師にや「近づく」歓喜何故か無きなり
十六 何故か原事実にや「向かふ」との主観の立場これ恩師学
(備考:滝沢克己『純粋神人学序説』272頁、熟読参照)
この夏はずっと、ご近所のお宅に咲き続けるサボテンの花を見届けるのを、毎日の散歩の楽しみのひとつにしてきました。
なんども「もうこれが最後の花かな?」と思いながら、いつも予想がはずれて、次々と新しいサボテンの花が咲き続けてきました。
昨日も前日から、この御宅の玄関のサボテンが一輪咲いてくれそうだ・・・と期待しながら、お宅の前に・・・・・
するとご覧の通り、立派な美しい花をつけていました!
ところが、もう一輪、玄関横の軒下に、自転車に隠れて、奇麗なサボテンが咲いていました!
びっくりしましたが、ひょっとして、まだまだ咲いてくれるかもしれません!、
そして昨日は、近くの公園に、元気な一羽の鶺鴒(セキレイ)がやってきました。久しぶりです。
もう少しすれば、渡り鳥のツグミも顔を出してくれるはずです。
このごろ毎日、ひろばにツグミがきていないかな、と探しているのですが、まだのようです。
ところで、昨日も一日中、寸暇を惜しんで『賀川豊彦著作選集』の校正に打ち込みました。
当初「解説」だけを頼まれていましたが、小説本体の校正までも頼まれてしまいました。
11月7日には刊行記念のシンポジウムが東京で企画されていて、その日までに完成させたいそうですが・・・そううまくはいきそうにありません。
でも、ご期待にお応えして、ガンバってみましょう。
なお、現在進行中の電子書籍『賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて』の方は、「今月(10月)22日に発売開始にする」ことが、昨日版元の「22世紀アート」から連絡がありました。さてはて、これもどうなりますか!!
本日も終りに、昨日の猫たちを・・・