延原時行歌集「命輝く」(第2490回)(大変!!猛暑が続き木々が枯れる!!)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2490回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」
今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。
名著『ふるさとの森づくり』の著者・山口貞美(元隠岐の島布施村村長)さんは延原先生の叔父さんですが、91歳の天寿、今朝はその報を受けた歌です。


    8月14日

            平安なれの歌十一首

 一 己れがや生きて地上にあるといふ事やあるなし平安なくば
 二 平安や全体的の命なり往きし人方御友と祈る
 三 人如何に青春の気に満ち満ちて活躍なすも悲劇又あり
 四 「これ誠現実なるか」叫ぶ我絶して不滅仄と笑む妻
   (備考:2014年3月11〜13日のことなり)
 五 青春も絶命の日も何あらむなべて御国に往くまでの事
 六 御友まし御父に運び往き給ふ命成る事平安まこと
 七 日に三度我祈りおり皆のため何時か天にて続け祈らむ
 八 兄よりや貞美叔父逝く報せあり日々の祈りに包みおりしも
   (備考:我が母きよのの一番下の弟山口(旧姓結城)貞美、隠岐の島布施村村長、『ふるさとの森づくり――隠岐布施村から都市への呼びかけ』(清文社、1981年)の著者として勇名をはせたる人、8月8日九十一歳の大往生なり。平安なれ!伊丹教会の佐藤健男牧師の薫陶を青年時代より受け、同師の導きにより結婚と共に隠岐の島に渡り布施村村長として尽くせり。我入信セルは貞美叔父の先導ありしなり。中学三年の時「神学校に行きたい」とぽつりと漏らしたるを貞美叔父が佐藤先生に話したことから我が同志社行きは「佐藤先生が喜んでいらしたぞ」と言ふことに相成りしなり。中学時代から献身の道始まりたり。貞美叔父のお蔭なり。我が母の入信は、叔父の婚姻(芦屋浜教会にて長谷川初音牧師司式)を契機に我と約束せしものなりき。これ皆一連の摂理なり。兄立志の報せによれば、11日の葬儀の喪主は長男司氏なり)
 九 出す毎に我が著贈れば貞美叔父間髪容れず葉書ありたり
   (備考:2006年『対話論神学の地平――私の巡礼のなかから』(春風社)上梓せる時には、平成19年12月10日付葉書あり:「御恵贈の図書落手致しました。改めて御礼申します。今迄辿って来た道の一応の集大成の結集を読ませて頂きます。時間をかけて充分とも行きませんが――。それにしても姉が居て呉れたらとおもいます。度々地震に(新潟は)見舞われましたが、米国かと思い失礼しました。亦」我が母を信頼して生きて来たる叔父は(青年時代、シナ事変で戦死せし我が父が残したる大きな古きアパートを経営せるうちの家にずっと同居の故)1990年母が病没してから「姉が居て呉れたら、どれだけ時行の著作の刊行を喜んだことか」が口癖なりき)
 十 「復活の省察」本を贈らばや退院の日ぞ意気軒昂や
   (備考:2014年12月15日付で送付:『復活の省察・前巻――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』(新潟・考古堂書店、2014年10月刊)。この書退院の日に落手の由、まだまだ死なぬ、何か使命ありとの返書ありたり)
十一 年取りて病多きも快癒あり我が著読みては楽しみし叔父
(備考:殊に『あなたにいちばん近い御方は誰ですか――妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』(東京・日本基督教団出版局、2011年)を贈りたるところ甚く喜びたり。2011年8月26日付の如し:「冠省 御免 昨日二十六日依頼したはずのない東京からの包みに不信の念にかられつつ開封したところ貴殿の著書が送られて来五冊まで入って居り、それに著者贈呈の紙を加えられており、仲の良い友人に読んでもらう事と致しました。なかでも五十年以上の交際のあり今体調をくずし色々と相談に乗っている後輩が居るものですので早速信子さんの事も書いて送ります。奈良の人です。感謝」)





いやはや大変です! 猛暑が続き、まったく雨が降りません。公園の木々が枯れかかっています。百日紅の樹までもが・・・。花々も危なくなっています。

連日、たっぷりと水やりをしていますが、草花に加えていまは植木に水が必要になってきました。