延原時行歌集「命輝く」(第2290回)(須磨離宮公園―「東門」からぶらり)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2290回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(229−5)げに新時代の歌、人心やの歌、今朝の思ひの歌、宇宙愉快の歌、何処方への歌、尊きやこその歌、嬉しきとてやの歌、命とはの歌、文字ありての歌、推敲の歌、大歓喜の歌、大仕事の歌、栄や見しの歌、驚きぬの歌、妻ぞ命の歌、ジュンク堂にての歌、一仕事の歌、北旅道中喜びの歌、新時代見ゆの歌、友の問の歌(2015年9月11日〜20日)。

       〇(9月15日)大仕事の歌十二首

   生涯の際に至りて汝やしも大歓喜笑むこれ大仕事

   これこそや延原信子生涯の祈りほめたる主の御祝福(備考:生涯の祈り汝が古き新約聖書の扉にやありたり:「あさな ゆうな 主のみあと を たどりて 身をおしまぬ ひつじかいと ならせたまえ わが主よ」)

   人如何に苦難経しとや言ひたるも復活なくば笑みやなきなり

   長崎の被爆体験永井師や「燔祭」言ひし大歓喜欠く(備考:「たしかに燔祭説のロジックがアメリカの原爆投下責任を追及するものではないということは、永井隆が占領軍に広報され、占領軍の検閲下で燔祭説を含む被爆体験記が出版を許可された大きな理由のひとつだと言える。永井の原爆の語りは、占領軍のお墨つきを得たものであり、それゆえに、1948年半ばまでの長崎において。原爆被害を意味づける語りは永井隆の燔祭説に収斂した。しかし、これは従来のようにただ永井一人と占領軍との関係において説明できるものではない。占領軍に加担したという永井の思想への批判は、当時の長崎の言説全体を視野に捉え直す必要があると考える。」四條知恵『浦上の原爆の語りーー永井隆からローマ教皇』(未来社、2015年)、94頁、参照)

   歓喜御復活のぞ真中なる宇宙語るや贖い非ず

   いかにして原爆教を被害者や贖い得るや御復活見よ

   原爆教如何に脅せど御友在り苦しめる者復活なさる

   英文稿「神Ecozoics」をぞ明らめつ命法満つる宇宙歓喜
(備考:英文拙稿”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics”「空神至誠」宇宙法源なること証言す)

   原爆教如何にしてもや法源に成ることはなし罪はただ罪

   推敲や成りたる祝し真夜中に友のメールや来る嬉しや(備考:Joseph Bracken師英文拙稿いざオンライン上梓へと祝詞賜る)

   我妻の絶後笑み増し見し我や「神Ecozoics」のぞ想得しやこそ

   今やこそ妻大歓喜呼応せる英文拙稿世に出でんとす

        栄や見しの歌八首

   我が所説「神Ecozoics」こそ初めてや地のエコロジー超ゆる栄見し

   原爆教戦後七十年間や法源の顔せしも無残や

   罪は罪「獣や撃て」とぞ号びしもト氏の時代や去りにけりかも

   かくて今原爆基教絶対の偽宣教や虚仮不実なり

   我が所説「神Ecozoics」のぞ開陳ぞ法源地をば超ゆる告げんと

   核時代兵器よりもや文明の形而上学学びて一新

   気づかばや原爆教やかつてのぞ一億玉砕恐れし悪夢

   悪夢をば形而上学一掃す「神Ecozoics」ぞやその名なりけり


       ♯              ♯


今朝も上の歌(9月15日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。ゆったりとおしあわせです。


        〇(10月15日)以来の歌二首

   十月の八日に妻や夢に出ず以来その辺居る感ぞ佳し

   本作る父さんやって言ひし妻よほど中巻楽しみと見ゆ


          











昨日は朝から見事な秋晴れで、思い立ってチャリンコに乗り、須磨離宮公園まで、ゆっくりと・・・・。

一年に4・5回はこの公園に出かけます。いま「2015 Autumn Rose Festival」(10月17日〜11月29日)の直前、薔薇が咲き始めた時です。連休明けで、穴場の日、来客のほとんどない、少々贅沢すぎる離宮公園でした。

いつもの通り、公園の正面ではなく「東門」より入園ーー神戸市の発行する「すこやかカード」をかざしてーー。

まずは「植物園」−−「あじさい園」「梅園」を経て「花の庭園」へーー。


以下が「花の庭園」です。撮影の順番に並べて置きます。