延原時行歌集「命輝く」(第2319回)(ぶらり散歩ー兵庫キャナルタウン)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2319回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(241−7)切れ目なき笑み見事なりの歌、核無知極みされどの歌、変調やありの歌、一切真理の歌、ある日の歌、原爆撥無の歌、御友祈りの歌、ノーちゃんやの歌、復活本御友わざの歌、英文稿嬉しやの歌、校正楽しの歌、暖切らさずやの歌(2016年1月21日)。

    1月27日
          ノーちゃんやの歌十八首

 一 ノーちゃんや汝が死後生の幸せのげにや溢るる姿麗し
 二 三年余頭打ちてや我と共箴言修行尽くしにけりや
 三 突如にぞ御父時と定めたる際や来にけり汝や笑み往く
 四 笑みてぞや生涯最高仕合せと我に謝したり麗しき時
 五 何でやと我の訊きしに汝喜々と皆やって呉れる言ふや笑みたり
 六 昼餉にぞ喉詰まらせて身罷りし汝されど笑むげに切れ目なく
 七 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)
 八 底飛翔なすや妻笑み不一不二御神共にぞまします御友
   (備考:底=ヨハネ1・1・第一項、御神共に=第二項、御友=第三項)
 九 今こそや歓喜劇なり「本作る父さんやって」「よっしゃノーちゃん」
 十 かくてぞや妹背天地に分かるるも一つ仕事に二人三脚
   (備考:『復活の省察[中間]ー御友神学へ:人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ』なり)
 十一 妻飛翔歓喜劇ほか何あらむ御友共ます有難きかな
 十二 歓喜劇本に成すこそ我妻の心意気なり豈祐けざらむ
 十三 御友のぞ共にまします歓喜劇いかで本成し祝はざらむや
 十四 人逝くを哀れ悲しとただ嘆くまるで御友のおはさぬ如し
 十五 往きて来る死後生のぞや沖つ波如何に嬉しきいのちなるかな
 十六 命をば今生だけに限りてや往くを嘆くは笑みなき業よ
 十七 往く命歓喜のほどを詠ふこそ御友まします宴なるかな
 十八 我妻の歌詠む毎に我がいのち永久なりとぞや悟る嬉しも
   (備考:復唱)

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今朝も上の歌(1月27日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    2月22日
          如何なるかの歌三首

 一 如何なるか旧著陸続上昇す時代の風や仏基対話ぞ
   (備考:カブ著、拙訳『対話を越えてーーキリスト教と仏教の相互変革の展望』京都・行路社、1985年:アマゾン「仏教とキリスト教」欄にて6位;拙著『仏教的キリスト教の真理』京都・行路社、1987年:同5位:拙著『ホワイトヘッドと西田哲学の〈あいだ〉ーー仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年:アマゾン「キリスト教神学」9位)
 二 上からの目線の本や教義本よりも心に迫る本佳し
   (備考:カブ著、拙訳『とりなしの祈り』東京・ヨルダン社、1990年:アマゾン「教義神学」5位;カブ著、拙訳『生きる権利 死ぬ権利』東京・日本基督教団出版局、2000年:アマゾン「教義キリスト教神学」4位)
 三 我もぞや此度の本のエピローグ心の歌を盛りて出だせり
   (備考:新著『良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』新潟・考古堂、2016年)

           或日の歌四首

 一 我妻や或日父さん看るのんは誰かなあ言ふぽつりぽつりと
   (備考:2014年2月26日の事なり)
 二 その時は何とかなるでノーちゃんよ言ひつ顔見る平安ぞ妻
 三 父さんは皆やって呉れるありがとね至福の思ひぽつりぽつりと
 四 この人は死ぬの恐しと一度とて言ひし事なし平安ぞ妻

           敷衍の歌二首

 一 我妻の絶後笑み増しなくばぞや英文稿を如何で我書く
 二 笑み増しや御友の恵み英文稿地球の幸とこれ敷衍せり


昨日は訪問客があって・・・、ちょこっと買い物に出かけただけでした。上の写真は、昨日撮った写真は、この二枚だけです。

むかし若き頃、1968年の4月からこの町に住みこんで新しい歩みを始めましたが、あれから早くも50年近くたちました。

あの大震災などを乗り越えて、いまも手元に残されている古い資料を整理していましたら「ひとはみてはならない」とメモした「生活ノート」がどっさりと出てきました。

400字原稿用紙に綴ったもので、1971年から3年余りの間のもののようです。当時のゴム工場でのメモ書きや、地元の自治会や子供会つくりのこと、草創期の解放運動のあれこれ、そして神戸医療生協とのかかわりなどの雑多な断片記録で、1972年の春ごろからは、延原先生から頂いた先生の当時の省察記録『雄鹿』誌に収められたあの「ヨブに関する私的断片」や「バルト神学における祈祷理解」などを沈読していたことなどのノートです。

「ひとはみてはならない」と記しているこのノートは、書いた本人もこの日まで読むことはなかったようで・・・。読書の記録であったり、「労働牧師」の実験と「番町出合いの家」の初心の深化をめぐるものなど・・・。

1974年の春「神戸部落問題研究所」の創立にこぎつけるまでのメモ書きのようです。この機会に、じっくりと読んでおこうと思っています。


本日の写真は、かつて国鉄時代の大規模な車庫となっていた場所があの震災の前から高層住宅街として整備され、ステキな「キャナルタウン」としてまちづくりの進んでいる場所の景色です。