延原時行歌集「命輝く」(第2178回)(昨日のぶらり散歩ーー新顔ノラ猫ちゃんとアガパンサスなど)

                      

         延原時行歌集「命輝く」(第2178回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(216−5)
為すは人主体御神の歌、摂理謝すの歌、今日の日やの歌、朝餉の歌、妻幸せの歌、微笑の歌、主の祈り二重の歌、愛の歌、不実教と御友飛翔の歌、「友よ」嬉しやの歌、今朝恵まれし御友神学の歌、称名の歌、道伝ふ歌の歌、宇宙開眼の歌、神学びの歌、任す日や佳しの歌、御自らの恵み歌、御神日々の歌、変貌論の時代歌、主の促しやの歌、本作る父さんやっての歌、悟りたりの歌(2015年5月11日〜20日)

    5月16日
             宇宙開眼の歌十首

   我妻の絶後笑み増し見し時の驚きやこそ宇宙開眼

   我が兄も妻の笑みこそ柔らかしつくづくと述ぶ宇宙示すと

   絶後のや笑み増しほどの驚愕や世にあるぞ無き「岸辺の主共」

   この宇宙ホ氏も言ふ如滅してぞ不滅の宇宙御友いませば
(備考:ホワイトヘッド主著『過程と実在』末尾に言ふ:”For the kingdom of heaven is with us today. The action of the fourth phase is the love of God for the world. It is the particular providence for particular occasions. What is done in the world is transformed into a reality in heaven, and the reality in heaven passes back into the world. By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love in heaven, and floods back into the world. In this sense, God is the great companion—the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351] 可滅界と不滅界ただ「偉大なる御友ーー理解ある一蓮托生の受苦者」によってのみ「交互関係」へと結ばれたるなり!拙著『宇宙時代の良寛・再説――ホワイトヘッド風神学と共に』新潟・考古堂、2014年、259頁、熟読参照)

   我妻の絶後笑み増し尊きやWe perish and immortal. その”and”示すや(備考:ホ氏言ふ”We perish and are immortal.” [PR, 351]にある”and”滅するものを不滅のものに繋ぐ「岸辺の主」「御友」のことなり)

   笑み一つ宇宙開眼導くや我妻の幸喩へ様なし   (備考:なあ、ノーちゃん、凄いこっちゃ。有難うね、父さん)

   我らが書宇宙開眼復活書只今二巻孜々と綴るや

   人方や痛し果敢無し言ひたるも笑む妻の幸知らぬだけなり

   世の人や痛し果敢無し言ひたるも笑み一つはぞ"and"の極意

   この宇宙笑みありてこそ御友共岸辺の主とぞ御国往く幸

              神学びの歌二首

   神学び人は好むもこの世のぞ統治術かよ宇宙まことぞ
   (備考:まこと=間事=交互関係=Reciprocal Metaphysics=真理)

   拙論の索引稿を作りてや母校にメール成せし嬉しや
(備考:共著:Conviviality, eds. by Roland Faber & Santiago Slabodskyに一章:"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity: In Dialogue with Thomas Berry and Sallie McFague"寄稿せり。索引校昨日メールClaremontに添付送付せり。佳し)


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今朝も上の「5月16日」の歌に加えて、今朝のメルマガ「風の便り」の歌を収めます。


            〇(6月19日)楽しみの歌六

   何があり何が無くとも妻とのや約束の本作り出ださむ

   それ程の楽しみ実にもあるぞ無き御国の願ひ受けてこそぞや

   御国のや願ひ何なる汝が父の全きが如全かれとや   (備考:マタイ5・48、熟読参照)

   御友のぞ見てぞ伝ふる言の葉や如何に尊き岸辺に聴くや

   岸辺にぞ我妻笑みし不思議やも御友御告げのありてこそなり

   我妻の本作る父さんやって言ひしこと御友の願ひなるぞ嬉しき
   (備考:誠これ大歓喜なり)

            笑みこそやの歌二首

   御友のぞ願ひありてや我妻や絶後笑み増す麗しきかな

   笑みこそや御友願ひの成就なる啐啄同時いとも妙なる

             教会検分の歌二首

   昨日や愛車走らせ太夫浜に北新潟の教会検分

   「復活のよろこび」看板表にや晴れがましくも微笑みにけり
(備考:6月21日の聖日我が説教「復活のよここび」の備えなり。嬉し)

             日々の歌の歌三首

   日々の歌を詠みては過ごし往くどの一日も御友在りてぞ

   歌とはや取り立ててぞや主題とはせぬ物にして日と共生まる

   日々に人生まれげに人や往く日々こそや復活祝ひ
(備考:箴言第一条:God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.)


付記

昨日は、過日の歌に詠われていた「ロサンゼルス土産」のチョコレートが到着し、早速夕餉のあとにブランデーとともにいただきました。よくあいますね! 

ところで今朝は、延原さんからのメール便も届いています。これも大切な歌ですので、ここに付記させて貰います。

「鳥飼先生 チョコお喜びいただき嬉しく存じます。色々御賞味深謝いたします。「大歓喜」は、本当に大歓喜なのです。それはこういうことです:①父が空に至誠なることは、②子が見て、汝らも全かれと、我々弟子達に告げ給うのです。③そのあとに、「本作る、父さんやって」と言うノーちゃんの声が続くのです。つまり、ここからは妻と私の至誠心の実践としての本作りになるわけです。④妻が物語の主演者;私が実作者として。これは驚くべき物語であります。我々の参加を入れて考える方だから、御友なのです。
滝沢先生は、それをそうでなくしてしまわれました。つまり、原事実とイエスを分けてしまわれ、イエスには縛られないとされました。そうすると、御友(超越次元では、父から聞きかつ父を見、内在次元ではそのことを
我々に告げて「友よ」と仰る、御友)が存立しない世界しか、滝沢先生にはないのです。原事実の思想はあります、模範としてのイエス像もあります、しかし御友は滝沢の純粋神人学の世界にはいまさぬのです。御友こそ原事実と我々を活きて繋ぐ方です。
右、お礼方々 草々不一 IXIA! 延原時行」










これまでも住宅の花壇のアガパンサスを撮りましたが、昨日は市場に行く途中に、近くの公園で群生しているアガパンサスに出逢いました。白いアガパンサスもありました。

そして雑草の広がる場所で、新顔の野良ネコちゃんたちにも出逢って、一枚パチリ・・・。

帰りには、もう少し遠回りして、すでに一度ここにUPしたことのあるアジサイに、もう一輪あたらしい花を咲かせていた綺麗な花を撮らせてもらい、私たちの花壇にも立ち寄って、また新しい花を一輪咲かせていた小さなキキョウをパチリ・・・・。