延原時行歌集「命輝く」(第3028回)(長田の港)

 延原時行歌集「命輝く」(第3028回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も初めに先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


○(6日)基教生命線の歌七首
    (* 鳥飼先生 6/6, 2018 23:43)

一 我や見る恩師基教の生命線抑へにけりやその底ぞあり  (備考:恩師インマヌエルの原事実をば、「深き低み」と呼び、それより下に降下なし、と言へり。『純粋神人学序説』274頁、参照)

二 十字架の我が主の叫び「何ぞ我?」地獄落ちとぞルターは見しや
  (備考:ルター地獄落ちを《sese in profundum humiliare》と書きし。キリスト教史の中で画期的な「視点」示せり)

三 我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
  (備考:復唱。「深き低み」を凌駕せる「底」の視点開示さる)

四 恩師はぞバルトに抗し原事実イエスに先行イマヌエルとす
  (備考:これ有名な滝沢克己の「バルト批判の」中核なり。滝沢克己『自由の原点・インマヌエル』(東京・新教出版社、1969年)、210-211頁、参照)

五 されどもや原事実はや「神共」(『ヨハネ』1・1・第二項)に先行者をば有(も)たざれば無し

六 この論議ロゴス論のぞ明察ぞ「神共」内に「原受肉」発す

七 かくなれば原事実とはイエスにや先行なすも栄光論的論駁を受く  (備考:「父よ、世の創られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光を、今み前に輝かせて下さい。」『ヨハネ』17・5.熟読参照。栄光論的論駁は、①イエスの「栄光」の自覚(イエスの宗教)、②イエスの十字架に向かう現時点の祈り(イエスの宣教)を含み、③「原事実」より先行する視点から、「原事実」を相対化する)

IXIA!
延原時行


昨日はチャリンコに乗って、ある法人の大事な会議に出掛けましたが、少し早めに家を出て、久しぶりに「長田の港」で海を眺めてきました。

次は、午前中のぶらり散歩で出会った花たちを収めます。


愈々今日は神戸も梅雨入りですね。朝からしっかりと雨です。