延原時行歌集「命輝く」(第2963回)(神戸の朝)

  延原時行歌集「命輝く」(第2963回)

  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

神戸の朝、いつものように朝食と洗濯と掃除を済ませて、パソコンに向かいました。今朝も延原先生のメルマガが届きました。まず先生の「今日の歌」を収めさせていただきます。写真のないままですが。

昨日は神戸に戻り、およそ一カ月半の間に届いていた郵便物やメール便を見て、年賀状などは、本日名古屋に帰ってからゆっくりと読むことにして・・・。昨日の午後は、地元のNPOまちづくりの皆さんと新年の懇親と学びをしっかりと・・・・やはり何といっても、神戸の我が家はいちばんです・・・お風呂にも入って、ゆったりと・・・・。

それにしましても、神戸にいても名古屋にいても、延原先生の新しい歌を頂けることは、何よりもの幸せです。いま、玄関に友だちの声があり、出てみると、元気づけにワインを持ってきた、といって・・・びっくりしました。名古屋に持ち帰って、いただきます!


〇(1月21日)

    原受肉飛翔の歌七首

   (* 鳥飼先生 1/20, 2018 22:34)

 一 赤々と原事実はや「新現在」産みにけりかも原受肉飛ぶ

   (備考:原受肉飛ぶとは、「神共」ロゴス「太初」に内住、而して御友として天父に帰還さるる全プロセス(”We perish AND are immortal.” [PR, 351, 82])を言ふなり。これ、我妻の絶後笑み増し不思議の旅路なり。世にいふ涙歌としての短歌には非ざるなり。短歌神
学なり)

 二 原受肉「原事実」のぞ内奥に「神共」ロゴス飛翔ぞ命

 三 飛ばずばや命そも無し宇宙にや優美あるなしただ涙のみ

 四 我妻や絶後笑み増し不思議やも「深き低み」の底ぞ飛翔す

   (備考:復唱。滝沢克己『純粋神人学序説』(福岡・創言社、1988年)、274頁、:「インマヌエルの原事実にまったく単純に規定されて、彼自身の身は深い低みにおかれており、そこに与えられた聖なる限界の背後に歩み出てさらに深く下降することはできもしないし、またしようともしないのである。」)

 五 涙越え深き低みの底ありて飛翔なすこそ御友の真理

   (備考:「深き低み」=恩師にてや「インマヌエルの原事実」の事なり。ただし、なぜ「インマヌエルの原事実」でなければならぬかについては、恩師特有の理由があるようなり。「インマヌエルの神共(pros ton theon)」(『ヨハネ』1・1・第二項)をわざわざ省いて「インマヌエルの原事実」(元々『ヨハネ』1・1・第一項の「太初のロゴス」の事)だけに「インマヌエル」問題を限定したるは、言ってみれば、滝沢の独特の性向、もっと言へば、聖書の「インマヌエル思想の」歪曲が所在するなり。本当は、我が此度此処に初めて明らかになしつつある如く、「インマヌエル問題」の枠組みは「神共」表記(『ヨハネ』1・1・第二項)が「太初」表記に推移なす全面展開の中にあるのであって、この全面展開は我が最近の提言の如く(see Chapter 3, “Principles for Interpreting Christ/Buddha: Katsumi Takizawa and John B. Cobb, Jr.”[especially in n. 6, n. 12, and n. 49] of my book, Three Theological
Adventures: Christology, Buddhist-Christian Dialogue, and Divine Ecozoics)「原受肉の提言」《the new proposal of the Proto-incarnation》の枠内の問題なる如しなり。即ち、元々滝沢の言ふ「インヌエルの原事実」問題は、神学問題としては、「原受肉の問題」の一部を成すものであって、既述の「太初」(第一項)のコンテクストの中に現れる「神人」関係の「インマヌエル」をその源泉である「神共」(第二項)に元々ある「神とロゴスと共」関係の「インマヌエル」から切り離して主張する一つの立場なるなり。「インマヌエルの原事実」とは、簡潔に云へば、「神共」インマヌエルをあたかも「神人」インマヌエルででもあるかのように強力に擬した主張なのであって、我が今回なしたるやうに、「原受肉の全貌」の提言の中で明らかならしめたる如き形の中で初めてその神学的位置と意味とが分明ならしめらるる事柄なり。なお、「原受肉の全貌」は,Chapter 13, "The Proto-factum Immanuel by Takizawa, My New Idea of the Proto-incarantion, and Whitehead’s Notion of God As Being ‘in’ the World:Within the Context of Divine Ecozoics toward a Theology of the Great Friend,” which was originally delivered as a paper at the 11th International Whitehead Conference, at the University of Azores, Ponta Delgada, on the Island of S. Miguel, Portugal. July 25-28,2017.)にて詳述したり)

 六 まさにこそ御友の真理承けてこそ我妻絶後笑み増して生く

 七 我が友や変らぬとぞや言ひ給ふ一に懸かりて笑み増し飛翔

   (備考:我が歌や決して涙歌なる短歌に非ず。短歌神学なり)


IXIA!

延原時行